Subject:
コリント人への手紙第二「主に推薦される人」
From:
Shinya Kanno
Date:
2010/12/16 22:39
To:
saiwainet

「主に推薦される人こそ、受けいられる人です。」 菅野審也 2010.12.16

「私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。」(3:1)
コリント人への手紙第二において、推薦状、そして、パウロが自分自身を推薦することについて教えられているのは非常に目立つことであり、興味深いことであ
る。「推薦」ということば自体、ローマ人への手紙の1回以外は(ローマ16:1)、この手紙でしか使われておらず、他の箇所と比べて考えるということがで
きないものである。しかし、コリント人への手紙第二の中で、「推薦する」というテーマとあるテーマをつなげて考えることによって、このことの本来の意味が
明らかになってくるものである。では、なぜ、パウロは、コリント人への手紙第二において、ここまで自分を推薦することを強調しているのか。また、パウロは
何のために自分を推薦しているのだろうか。

「推薦」については、3:1-6:10と11:1-12:18、前半と後半の両方で取り扱われ
ており、パウロは、他の話よりも比較的長い箇所を使って、このことについて話している。なぜなら、このテーマは、コリント人への手紙第二において、一つの
中心的なものであるからである。しかし、長い箇所が使われ、中心的なテーマとして取り扱われながら、理解しずらいテーマであることも事実である。そこで、
パウロが、8-9章で教えている「献金」というテーマといっしょに考えることが、「推薦する」ことの意味を知る鍵となるのである。すなわち、パウロは、自
分がコリントの教会から献金を預かり、それをエルサレムの聖徒たちのもとへと運ぶのにふさわしい者であるということを推薦しているのである。その推薦に
よって、彼らとの信頼関係を築かなければならないのであって、献金は、お互いの信頼関係が一番よく表されるお金の問題ということなのである。このことにつ
いては、イエスを裏切ったイスカリヨテ・ユダからも見ることができることである。彼は、金入れを預かっている者であったが、いつもそこから盗んでいたので
ある(ヨハネ12:6)。

そこで、パウロは、自分はイスカリヨテ・ユダのような者ではなく、信頼するに値する者であるということを示すた
めに、特に大きく二つのことを推薦している。一つ目は、キリストのゆえの弱さ。二つ目は、キリストのゆえの苦しみである。11:1-12:18の後半の段
落においては、「誇る」ということばが多様されているわけだが、その誇っている内容とは、一つ目にあたる弱さについてである。また、6:3-10と
11:23-27では、自分がキリストの御名のために受けて来た迫害について、非常に具体的に記述している。こうすることによって、パウロは、自分自身を推薦しているのは、最終的にはキリストを推薦することであるということ、また、これらの推薦は、すべて主による推薦であるということを教えているのである。「自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、受けいられる人です。」ということばの通りなのである(10:18)。

このようなわけで、パウロは、自分をキリストのしもべとして推薦するということについて教えることによって、コリントの教会との父と子の信頼関係について教えていたのであったということがわかる。そこで、私たちは、このパウロとコリントとの関係から教えられ、それに習って、主であり父である方に信頼し、主に推薦される者へと成長しなければならないのであって、自分をキリストのしもべとして日々推薦していかなければならないのである。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)