Subject:
ピリピ人への手紙 模範(2)
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/12/18 8:39
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ピリピ人への手紙 模範
 
この手紙の中で「模範」は一つの大きなテーマとなっている。
 
 一番初めにパウロの模範について書かれている(1:12-26)。
パウロはキリストのゆえに投獄されているが、大胆に神のことばを述べ伝えている。しかも、迫害の中で福音が述べ伝えられることを大いに喜んでいる。
これはキリストの栄光のすばらしさが現されるという望みに基づいている(1:20)。
なぜなら、生きることも死ぬこともキリストのためだからである。
 
 このパウロが模範としているのは、キリストである。ピリピ人への手紙では、キリストの模範として「十字架」について、1:27-2:11で述べられている。
キリストは神の御姿であられる方なのに、「仕える」者となり、十字架の死にまで従われた。それゆえ、神はキリストを高く上げられた。
 
 次にテモテとエパフロデトの模範が書かれている(2:12-30)。
テモテは子が父に「仕える」ように福音に奉仕してきた。これは、まさしくキリストの使える模範(2:7)に従ったものだといえる。
もう一人はパウロの兄弟、同労者、また戦友であるエパフロデトである。彼もまた「仕えた人」(2:25)である。彼はキリストのために死の危険をおかした。
 
 では、この手紙を読んでいる私たちは、どのようにパウロ、キリスト、テモテ、エパフロデトの模範にならうべきなのだろうか。
なぜなら、パウロは3:17で「私を見習う者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」と命じているからである。
ピリピ人への手紙で模範というテーマを見るときに、「仕える」という言葉がキーワードになっている。では、私たちはどのように「仕える」べきなのだろうか。それは、2:1~で述べられているように、「一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにする」ことである。つまり、私たちが「兄弟愛」をもってお互いを愛すること、それが模範にならうことである。