Subject:
コリント人への手紙第二「第一コリントとのつながり」
From:
Shinya Kanno
Date:
2011/01/06 14:53
To:
saiwainet

「コリント人への手紙第一とのつながり」 菅野審也 2011.01.06

コリントの教会へ送られた手紙は、第一と第二の他にもあったということは、「私は前にあなたがたに送った手紙で...」というコリント人への手紙第一におけるパウロのことばより明らかにされてはいる。しかし、神様が私たちのために聖書として残してくださったのは、この第一の手紙と第二の手紙だけであったというわけである。そこで、私たちは、この二つの手紙を比べて、それぞれのつながりを探し、パウロを通してコリントの教会に対して、また私たちに対して語ってくださったことが何であるかを読み取らなければならない。というわけで、まずは、それぞれの手紙について考えたい。

コリント人への手紙第一では、「私はパウロにつく」、「私はキリストにつく」という分裂の問題があったり、偶像にささげた肉についての問題が取り扱われているということもあったりと、他の手紙よりも具体的な問題を取り扱っている手紙として知られていることが多い。そのような手紙の中で、パウロが取り扱っている大きな問題が二つある。一つは不品行について、もう一つは偶像にささげた肉についてである。この二つであることについては、「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」ということばからもはっきりとされている(使徒15:29)。これらの問題が彼らの間にあることによって問題となっているのは、やはり兄弟の関係なのである。不品行の問題というときには、何が正しい結婚関係なのか、結婚することが正しいことなのか、または結婚しないことが正しいのかということが取り扱われている。また、偶像にささげた肉の問題においても、その肉を食べることによって、弱い兄弟につまずきを与えてしまう、そのようなことがあってはならないとパウロは教えているのである。

次に、コリント人への手紙第二とはどのような手紙であっただろうか。まず、思い出されるのが、パウロが、コリントの教会に対して、自分を推薦しているということ、そして献金についての教えではないだろうか。パウロは、「推薦する」というテーマをこの第二の手紙において、メインテーマとして扱っているわけだが、簡潔にまとめるならば、父と子の信頼関係を築くためであるということが言える。なぜなら、パウロが自分を推薦しているのは、もちろん、ただ自分を誇ってるためではなく、恵みのわざである献金を教会から受け取り、エルサレムにいる聖徒たちのもとへと持っていきたいからである。教会から献金を受け取るためには、まず自分がそれを預かるのにふさわしいものであるということを示し、教会から信頼を得なければならないのであって、パウロは自分を神のしもべとして推薦することによって、キリストご自身を彼らに推薦し、その信頼関係を築こうとしているのである。献金、すなわちお金という目に見える形においては、それぞれの信頼関係というものが一番はっきりと現されるものである。

このようなわけで、コリント人への手紙第一と第二は、二つの関係においてそれぞれをまとめることができる。第一は兄弟の関係、そして第二は父と子の関係である。また、パウロが使徒20章で、エペソの教会の長老たちを呼んで話した話においても、これら二つの手紙がまとめられていると考えることができる。長老たちに対する話自体は、18節から始まっているわけだが、特に29-35節において、コリント人への手紙が表されている。29-32節の、昼も夜も、涙とともにみことばを教えてきたということが第一コリント、33-35節の、自分自身むさぼることはせず、「受けるよりも与える方が幸いである」と言われたイエスのことばを万事につけ示して来たというのが第二コリントである。
これらのパウロの熱心な働き、そしてコリントの教会に対する愛の基盤となっているのは、やはりキリストの十字架と復活である。私たちもこの同じものに望みを置く者として、これらの手紙から励ましを受け、いつも喜び、完全な者となり、一つ心になり、平和を保たなければならないのである。そうしてこそ、愛と平和の神様は私たちとともにいてくださるのである。

-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)