Subject:
RE: [saiwainet] 詩篇70篇と詩篇40篇
From:
"Saito@COSMOS" <cosmos@ca2.so-net.ne.jp>
Date:
2002/01/18 18:42
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>
Reply-to:

さいとうパパです。

斎藤家でもできる70篇と40篇の比較をしました。

40
70篇
言葉
言葉
13
1
13
1
13
みこころによって
 -
 
14
ぼそうとする
 -
 
15
退
3
16
4
17
5
17
みる
5
17
助け
 助け
5
17
わが
 主
5

やはり特徴的なのは神様を呼ぶ呼び方ですよね。主と神。
それから、英語では主にhelpと訳されている言葉(40:17と70:5)ですが
40:17(05833)は70:5(05828)の言葉から派生している言葉で、
創世記49:25(05826)に出てくる言葉が基になっているようです。
詩篇の前の箇所を見てみると(それ以外は皆さんも見てみてください)
 40:17(05833) ヨブ6:13,31:21
 70: 5(05828) 創世2:18,20 出エ18:4 申命33:7,26,29

創世2:18
 その後、神である主は仰せられた。
 「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け(05828)手を造ろう。」
申命記33:29
 しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。
 主はあなたを助ける(05828)盾、あなたの勝利の剣。
 あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。

神様はアダムに助け手を造り、神様もイスラエルの助けとなってくださっています。
申命記33:29の始まりの「しあわせなイスラエルよ」の「しあわせ」と言う言葉
なんか気になりませんか?なんと皆さんおなじみの「さいわい」と同じ言葉です。
神様ご自身が助けとなってくださるイスラエルは「さいわい」な民なのです。

かんのパパ> ホセア書に記されている堕落したイスラエルは、
かんのパパ> 姦淫、裸、恥というたとえで書かれており、
かんのパパ> 神様が求めている誠実に逆らう民である。

ホセア書の堕落しているイスラエルは、神の助けを求めず、偶像礼拝をしたために
「さいわい」は取り去られました。神の盾は取られ、剣はイスラエルに向き、
敵があざ笑い、辱めを与え、イスラエルを踏みつけるようになりました。

かんのパパ> ここからはじめて、70篇、40篇の位置づけを考えました。
かんのパパ> 40篇は、御父の愛に重点があり、
かんのパパ> 70篇は、御子の愛に重点があると考えられます。

海を地に変え、エジプトから救われたイスラエル人は神を賛美します。
出エジプト記
 15:2 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。
    この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。
    私の父の神。この方を私はあがめる。
 15:3 主はいくさびと。その御名は主。
 15:6 主よ。あなたの右の手は力に輝く。
    主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。
御父は、イスラエルの父の神として契約をおぼえて、イスラエルを救い、
御子は、イスラエルを助ける盾、勝利の剣として、敵を踏みつけてくださる。
ということでしょうか。