Subject:
Psalm 71.doc
From:
"Ken Shiomitsu" <ken@mikunikensetsu.com>
Date:
2002/01/25 16:43
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。献です。

Robert L. Alden の詩篇71篇の解説を読みました。彼が出してる大切なポイントを書きます。

 

この詩篇を書いてる人は多分年老いた人でしょうとオルデン氏は言っています。神は詩人を生まれた時からずっと見守っているので、詩人は神が彼を見捨てない事を信じています。(18節)

詩人はまず神に耳を傾けてくださるようにお願いします。そして救い出されるようにお願いします。彼は神を「岩」として呼んでいます。岩は聖書の中で二重の意味を持ちます。一つの意味は揺るがない土台を指します。もう一つは避け所の意味を持ちます。

7節の最初の方は二つの捉え方があります。詩人がヨブみたいな人で信仰が深かいので回りの人の驚きになっているのか、詩人は常に祝福の中にいて災いから常に守れているので回りの人の驚きになっているかです。この詩篇の場合は常に祝福されていると見た方が正確でしょう。神に従う人の多くは神の素晴らしい救いや奇跡的な経験を告げることが出来ますが、信仰の無い者たちは無知の驚きを示しますが彼らは私達の信仰も神の恵みを悟ることは出来ません。

            10節と11節で詩人の敵は組んで詩人を倒そうとしています。その悪者たちは話す時に神を持ち出します。悪者らは神を持ち出して自分のやっている悪事を少しでもきれいに見えるようにしようとします。イザヤ書で登場するラブ・シャケもこの同じ手を使います。(イザヤ3610)昔も今も将来も悪者は常にこのやり方を使います。

            詩人は1節で避けられるように祈った恥を13節で敵の上にかぶせています。この節はこの詩篇のなかでの唯一つの呪いの言葉である。この呪いの節のすぐ後にもっと賛美に満ちる節に戻ります。

            17-18節は詩人の人生を短く描いています。詩人は一つのポイントをここであげます。神は今までずうっと詩人を見捨てたことが無かったので、神はこれからもずっと祝福して神の正しさと愛を代々と告げられていくようにしてくださると詩人は確信しています。

            20節は旧約聖書ではほとんど見られない死からのよみがえりについて書かれている節でしょう。いろんな人はこれは深い問題に落ちて助けられた人を例えていると言うでしょう。だが、詩人は自分の人生を若い時から年老いた時までを描いてから死から復活以外に予想できる救いは無いでしょう。

            詩人がここで楽器を出して来ているのは詩人が神殿で仕えていた人や楽器のプロだったとは限りません。詩人は神をほめたたえるためにふさわしい言葉を使おうとしているのです。ほとんどの「問題と信頼」の詩篇と同じようにこの詩篇は前半の祈りが聞かれて終わります。詩人を痛みつけようとしていた者達は恥のさらされたといっています。善を行う者たちは購われて祝福されますが、悪者は混乱と恥にさらされます。