Subject: 詩篇74篇で「神が拒む」ということについて(ケイヤ) |
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Date: 2002/02/12 13:11 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+カンノケイヤです。 詩篇74篇の「神が拒む」とうことについてまとめました。 1)神は何をしたのか? この詩篇に「いつまで」という言い方は1節、9節、10節の3つある。神はいつまで何 をしているのかというと、無視、怒りなどよりひどい「拒む」ということである。礼 拝しようとしても礼拝できないということである。 2)何を拒んでいるのか? 1-11で拒んでいるものは特定されていく。 まず最初に神は民を拒んでいる。 次に神は聖所を拒んで、攻撃されることを許している。 最後に神はみことばを与えることを拒んでいる。これは9節から分かる。ここの預言 者はみことばを表している。 3)拒んでいることの反対は? 拒んでいるということの反対は覚える、心に留めるということである。 4)拒むとみことばの関係は? アモス書に書いてあるみことばがなくなる、みことばが与えられないということがさ ばきの中心である。 反対に恵みの中心はみことばが与えられる、みことばを覚えるということである。 5)12-17は何を思い出すのか? この箇所はヨブを思い出す。 彼は妻と友人に侮られ、そして神に拒まれた。そしてヨブはなぜこのような状態に なっているのかを知らない。それに対する神の答えはヨブ記38-41にある。ここで神 は全能である、ヨブに力がないということであることを言う。その中にはレビヤタン の話もある。 -------------------------------- +カンノケイヤ@カンノファミリー mailto:keiya@kanno.com --------------------------------