Subject:
詩篇77篇の16~19が他の詩篇でどのような位置付けになっているか(続き)
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2002/03/07 11:58
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

詩篇77篇の16~19が他の詩篇でどのような位置付けになっているかを続けて探
しまし
た。

■詩篇135:6~12
主は望むところをことごとく行なわれる。天で、地で、海で、またすべての淵で。
主は地の果てから、雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出され
る。
主はエジプトの初子を人から獣に至るまで打たれた。
エジプトよ。おまえのまっただ中に、主はしるしと奇蹟を送られた。パロとそのすべ
てのしもべらに。
主は多くの国々を打ち、力ある王たちを殺された。
エモリ人の王シホン、バシャンの王オグ、カナンのすべての王国を。
主は彼らの地を、相続の地とし、御民イスラエルに相続の地として与えられた。

どのような位置付けになっているか:ここでは実際にこのようなみわざを行っていな
いが、みわざの話がでてくる。

■詩篇124:2~5
「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私に逆らって立ち上がったとき、
そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向
かって燃え上がったとき、
そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。
そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」

どのような位置付けになっているか:神がイスラエルの見方でなかったら、水はすご
くなってしまう。

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