Subject: 79:7-9の意味と位置付け(ケイヤ) |
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Date: 2002/03/08 12:20 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+カンノケイヤです。 79:7-9の意味と位置付けを見ました。 77:7-9をほとんどの英語の訳と日本語で見ると「だろうか」が6回繰り返されてい る。 しかし、ヘブル語では3回しかない。 永遠に~「か」 拒絶する 主は そして~し続けない 受け入れることを もう 尽き果てた「か」 永久に 彼の慈しみは 終わる 約束は 世代 と世代に 忘れた「か」 好意を 神は もしか~か 閉ざした 怒りによって 彼の憐れみを つまり1節に1つの割合ででてくる。 ではこの1節づつにはどのような観点で題をつけると・・・ 7節 私を見捨てる 8節 契約をやめる 9節 あわれみをやめる このようにして見てみると、7節と9節は同じような一連の話だが別の行動である。 神が見捨てるのではなく、見捨てないというだけではない。私をあわれんでくださら なければ、半分までしかできていない。復活しても天に上らなければ、完成していな いのと同じである。 この2つのことを行うということが、契約を覚えるということである。 ではこの詩篇の中でどのような位置付けになっているのか? この詩篇で、詩人は昔の日々、昔の神のみわざを覚え、思い起こしている。そのこと によって詩人は3つのことを悟っている。 神は絶対に見捨てない 神は絶対に契約を守り、覚える 神は絶対にあわれみを与えてくださる つまり7-9の反対を確信しているのである -------------------------------- +カンノケイヤ@カンノファミリー mailto:keiya@kanno.com --------------------------------