Subject: ぶどうの木について(ケイヤ) |
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Date: 2002/03/27 14:20 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+カンノケイヤです。 80:8‐18の中にはぶどうの木の話が中心になっている。 まずぶどうの木の例えをみて思い出すのは、ヨハネ書15章である。この箇所で主イエ ス・キリストはぶどうの木で、御父は農夫である。そして私たちは枝で、その実は私 たちの働きの成果である。もし枝が木にとどまらず、落ちてしまったり、実を結ばな いなら、燃やされてしまうという例えである。この詩篇の民は神との契約を守らず、 逆らったので、燃やされています。 またこのように木が生長するという話は預言書の中で国、王について使われている例 えです。 エゼキエル書15章でぶどうの木は意味のない、役にたたないものであるので、神は火 で燃やして、顔をそむける。これはまさに神が御顔の光を照らしていなく、怒りに よって燃やされている。 エゼキエル書17章でバビロン=大鷲は種=イスラエルを自分たちの地に植えるが、逆 らって、他の鷲=エジプトに助けを求めたので、神が枯らしてしまった。 エゼキエル書19章でぶどうの木はとても強く、王の杖にまでもなったが、引き抜かれ た。そしてエジプトから移すのの反対で、荒野に移した。 エゼキエル書31章でアッシリヤは杉の木のように育って、エデンの木がねたむほどま で生長した。しかし、高ぶったので、他の国に倒された。 ダニエル書4章ネブカデネザルは強くなったが、高ぶったので、7つの時の間、獣のよ うになるが、悔い改めたので大いなる者となった。 -------------------------------- +カンノケイヤ@カンノファミリー mailto:keiya@kanno.com --------------------------------