Subject: 岩のできる蜜(ケイヤ) |
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Date: 2002/04/02 13:31 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+カンノケイヤです。 岩のできる蜜についてまとめました。 この言い方は申命記の32:13にある。この箇所でモーセは死ぬ前に歌を歌う。歌の中 でイスラエルの歴史について話している。 ●詩篇とのつながり この箇所の最初でおしえを聞けと言っている。また12節で神は他にいく、ただ主だけ が導いたと書いてある。また主は岩のできる蜜だけではなく、野の産物も与えた。し かし、17節で他の神々を礼拝した。そして80篇に書いてあったように御顔を隠され た。それで怒って、野の産物を焼き尽くされた。 ●なぜ、81篇にこの言い方があるのか? ここには2つの解釈がありえる。そしてどちらの解釈をしても良い。 1つは実際に蜜を食べさせるということである。歴史的には岩から蜜がでたという話 はないが、岩から水がでたという話はある。これは不可能な、不毛の地からも食べさ せてくださるということである。荒野でうずらが降ってきたり、マナが降ってきたり もする。 もう1つは蜜=律法という解釈である。律法は蜜のように甘いということが詩篇19:10 に書いてある。律法は人のたましいを喜ばせる。そして甘い。 -------------------------------- +カンノケイヤ@カンノファミリー mailto:keiya@kanno.com --------------------------------