Subject:
詩篇86篇と申命記33,34章を比べる(ケイヤ)
From:
Date:
2002/05/14 14:26
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+Keiya Kannoです。

1)11節が目立つ

86篇の構造を見る時に11節が目立つ。それは私たちの祈りと違うからである。私たち
は祈る時に毎回「~ください、~ください」と祈るが、ダビデの祈りは違う。ダビデ
は大変な状態の中にいるのに、神の道を歩みたいと願う。

2)33,34章の全体像

5,15にある「主はあわれみ深く、いつくしみ深く・・・」という主の御名の言い方は
一番最初に出エジプト記34:6,7にある。そこで神はご自分をモーセにあらわしてくだ
さった。このストーリーはイスラエルの人々がモーセが神から十戒を与えられている
間に犯した「金の子牛の罪」のあとである。そのあとにモーセは会見の天幕と呼んで
いる天幕に入って、神と話す。そこでモーセは自分だけで民を導くことは不可能であ
る。どうぞ「道を教えてください」とモーセは願う。そのあとにモーセは「神の栄光
をみせてください」と願ったので、神は34章で「主の御名」を宣言してくださった。

3)神の道を歩む

11節の最初の2行はこの話である。この道は御言葉で、御言葉によって歩みたいと
願っている。出エジプト記33,34章のところでモーセは道、真理である十戒が与えら
れる。この2つのことが一緒にでてくる箇所はヨハネ福音書14章にある。そこでキリ
ストはご自分を「道であり、真理であり、いのちである」と言われる。11節の中で
「いのち」の部分は「心を一つにする」ということである。

4)心を一つにする

心を一つにするという言い方を聞くと最初はピンとはこない。しかし、出エジプト記
33:16を見るとモーセは「お心にかなっているなら」と言う。これこそ神とモーセが
心を一つにするということである。

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