Subject:
詩篇88篇の穴についてのまとめ
From:
"Miwaza Kanno" <miwazaML@kanno.com>
Date:
2002/05/30 11:34
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。

穴についての続きをまとめました。

詩人は穴に入った時に「穴に入った、それはあなたがやった。」という。これは、問
題に目を留めていないで、神に目を留めているということである。

穴に入れられた時にしなければいけないのは、神が神であることを知ることである。
これは、忠実という意味である。

穴に入れられた時に敵は「神は見捨てた、神はあなたを救わない」と言う(その譬え
として、ヨブが穴に入ったような状態になった時に、彼の奥さんが「神を呪って死に
なさい」といった話がある。)。しかし、私たちはこのような時に「神は救ってくだ
さる」ということを、信じなければいけない(ルカ18章を見てください)。また、
ローマの8:28には神はすべてを知っているということが書いてある。

穴から上げられた時に、行くところはシオンであるということは、詩篇87篇を見て
いてもわかる。シオンの山というのは、神の都、新しいエルサレムである。このこと
については黙示録に書いてある。その神の都には、88篇の穴のやみと反対の神の栄
光がある。

穴に入れられる理由として、神、友人に憎まれて、穴に入れられるというのがある。
このような時に彼は神、また、友人に愛されたいのである。その愛されたいというの
は、本当の兄弟になりたいということであって、その話は詩篇87篇の「ここで生ま
れた」というところに出てくる。なぜなら、それは、異邦人と完全に兄弟になるとい
うことだからである。

神、友人から憎まれるという、死の状態、神、友人との交わりがないということの反
対で、神、友に愛される、つまりいのちの状態については、詩篇の87篇に出てく
る。

87篇と88篇では全く反対の事が言われている。しかし、面白いことにこの2つの
詩篇は両方ともコラの子達の賛歌で、同じ人が書いたのである。

結論として詩人は穴からシオンの山に上げられることを信じている。キリストはそれ
を体験した。キリストは、弟子に憎まれ十字架にかけられ穴に入れられた。しかし、
キリストはよみがえり天に上ったからである。

私たちは、穴から引き上げられてシオンの山に上った時に詩篇23篇を歌わなければ
いけない。なぜなら、詩篇23篇には「わたしは乏しいことがない、私は災いを恐れ
ない。」と書いてあるからである。23篇の6節にあるように、シオンの山を求めて
いると、最終的にそれが追ってきて、いつまでも、主の家に住まうことができるので
ある。

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 Miwaza Kanno
  miwaza@kanno.com
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 God bless you!(^^)/~~~
 !かにかに!かにかに!y(^^)y
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