Subject:
木曜日の家庭礼拝(ケイヤ)
From:
Date:
2002/05/30 13:04
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+Keiya Kannoです。

今日の家庭礼拝をまとめました。

1)この詩篇は暗い

この詩篇は前の87篇と比べて、とても暗い。それにこの詩篇の作者と87篇と同じであ
る。しかし、この詩篇は暗いだけではなく、確信もある。それは1節の最初の言い方
の「私の救いの神」である。ここに詩人の信仰がでている。

2)穴と怒り、友の関係

この詩篇の構造は主に1-8と13-18があってその真中に9-12がある。1-8と13-18には主
に4つのことがある。「祈り」と「穴」と「怒り」と「友」である。

穴と怒りの関係は「神に憎まれて、穴に入った」ということである。神に憎まれて、
神は御顔を隠してしまわれた(14節)。それは穴に入っていることの具体的な状態で
ある。

穴と友の関係は「友に憎まれて、穴に入った」ということである。いろいろな穴のス
トーリーを見ると友、知人が穴に入れるという話がよくある。例えば、ヨセフの話
や、ダビデの話などはそうである。それでこの話も具体的に穴に入った状態である。

3)穴からの救い

いろいろな穴の箇所を見ると敵はそしっていることが分かる(詩篇31,38,55篇)。そ
の中でも有名なのがヨブの話である。ヨブはある意味で穴に落ちている。穴に落ちて
いるということは死にそうな状態である。そこへヨブの妻は「神を呪って死ね」と言
う。このような時に私たちは神に訴えなければならない。神に忠実にすれば神は助け
てくださるのである。

ルカ福音書18章のキリストの例え話を見ると、訴えるということがよく分かる。ある
裁判官にやもめは訴えるが、最初は聞いてくれない。しかし、何回も何回も訴えた
ら、彼は聞いた。

また私たちはこのような苦しみも神が与えてくださったものであると覚えなければな
らない。ローマ8:28に書いてあるように「神はすべてのことを益としてくださる」か
らである。

4)穴の反対の場所

最初に88篇は87篇とは反対のことを言っていると書いたが、詩篇の並び方にも意味が
あるので、この2つの詩篇は関連付けて見なければならない。

87篇では異邦人でさえも、シオン、神の都で生まれたと書いてある。黙示録を見ると
分かるように、神の都には「栄光」が溢れている。しかし、それとは反対に88篇の穴
は「暗い所」である。

この2つは結局、いのちと死につながる。穴の中にいる状態は死の状態であり、神の
都にいるということはいのちである。なぜなら、そこにあるいのちの書に私たちの名
前が書いてあるからである。

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