Subject: 慈愛 (謙人) |
From: "Kento Aoki" <kento@mikunikensetsu.com> |
Date: 2002/06/13 14:48 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、謙人です。 「慈愛」を見てみました。 詩篇27:4 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私の命の日の限り、主の家に 住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。 コメント:ここでダビデは神に一つのことを願っている。それは主の家に住むことで あって、主の住まいと言う話は90篇と関 連している。 90篇とのつながり:主の住まい、御顔 詩篇29:2 御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物をつけて主にひれ伏せ。 コメント:この詩篇はダビデの賛歌で、主の声についてのことが多くでてくる。そし て、神は御座につかれたとき、ご自分の民に力を与えられる。この一節は1-2節に ある主に~~~を帰せよというところの最後。 90篇とのつながり:力を与える、永久に王として・・・ 詩篇39:11 あなたは、不義をせめて人を懲らしめ、その人の望むものを、しみが食うように、な くしてしまわれます。真に、人はみな、むなしい者です。 コメント:この箇所は90篇と似ていて、人はむなしいものだといっている。人の不 義をせめて、あらわにして、懲らしめられるというのは90篇の8節の不義を御前に 置かれるという話と似ている。 90篇とのつながり:人はむなしい、人、自分の齢は短い 詩篇45:11 そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏 せ。 コメント:この詩篇は娘についての詩篇で、麗しいということが多くでてくる。 90篇とのつながり:なし 詩篇49:14 彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐなものが彼 ら支配する。彼らの形はなくなり、よみがそのすむところとなる。 コメント:この詩篇で、人は滅びうせる獣にたとえられている。しかし、神は私をよ みから救ってくださるといっていて、神に確信している。 90篇とのつながり:人はむなしい、人は永久までもは生きられない 詩篇50:2 麗しさのきわみ、シオンから、神は光を放たれた。 コメント:神は裁きを行うために光を放たれる。 90篇とのつながり:人は神と同等ではない 詩篇96:6、9 尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。 聖なる飾り物をつけて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。 コメント:この詩篇では神は大いなるかたで、神々はむなしいといっている。そし て、その方をほめたたえよという。 90篇とのつながり:なし 全体的なコメント:慈愛という言葉をへブル語で詩篇の中から捜すと詩篇27のとこ ろと90篇にしかなかったので、英語から探すと9個あった。しかし、それらは直接 へブル語の言葉ではないので意味がつながるところはあまりなかった。それでも、神 と人の違い、人の齢についてのことが出てくる詩篇は何個かあった。そのことを見た ときにきずいたことは神の慈愛というのは慈しみのような愛であるので人は神の慈 愛、慈しみによってでなければ生きていけないということだった。そのように見ると 17節は90篇の結論のように見えた。人はむなしい、なので、慈愛が私たちの上に あるようにといっている。 以上です。