Subject: 千、万 (謙人) |
From: "Kento Aoki" <kento@mikunikensetsu.com> |
Date: 2002/06/18 15:11 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、謙人です。 千人と万人が一緒に出てくる箇所を見ました。 創世記24:60 彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ。あなたは幾千万にも増えるよう に。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」 コメント:ここはアブラハムのしもべがイサクの妻を探しにいき、リベカをつれて帰 るときにリベカの家族が彼女を祝福しているところ。 民数記10:36 またそれがとどまるときに、彼は言っていた。「主よ。お帰りください。イスラエル の幾千万の民のもとに。」 コメント:ここはモーセは契約の箱がとどまる時にこういったというところである。 ここの箇所の91篇とのつながりは主の雲がイスラエルを導いたというところで主が 道でイスラエルを守ってくださるということが似ている。 申命記32:30 彼らの岩が、彼らを売らず、主が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千 人を追い、二人が万人を敗走させただろうか。 コメント:ここはモーセが死ぬ前に歌った歌のところ。ここにある神は岩だというこ とは91篇とつながっている。また24節には悪疫、野獣の話もある。このモーセの 言葉は全体的に91篇と似ている。 申命記33:17 彼の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。これをもって地の果て果てまで、 国々の民をことごとく突き倒していく。このようなものがエフライムに幾万、このよ うなものがマナセに幾千もいる。」 コメント:これはモーセが死ぬ前にイスラエルを祝福していった言葉で、ヨセフへの 祝福の言葉。 32と33章に千、万という言葉二回も出てくるということを見るとモーセの祈91 篇のような祈り、歌が多いことがわかる。 士師記20:10 私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人 につき千人を取って、民のための食料を持って行かせ、民がベニヤミンのギブアに いって、ベニヤミンがイスラエルでしたこのすべての恥ずべき行いに対して、報復さ せよう。」 コメント:ここはベニヤミンが行った恥ずべき行いに対して、イスラエルが報復する ことを決めて、団結するところである。ここにはあまり91篇とのつながりはない。 第一サムエル18:7、 女たちは、笑いながら、繰り返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を 打った。」 サウルは、この言葉を聞いて、非常に怒り、不満に思っていった。「ダビデには万を 当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」 コメント:ここはダビデが色々なところで勝利を収め、サウルを女たちが迎えるとき にサウルは千をうったがダビデは万を打ったといっている。このことによってサウル は怒り、ダビデを殺そうとするようになる。 第一サムエル21:11 するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデでは ありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千をうち、ダビデは万を打った。』と いって歌っていたのは、この人のことではありませんか。」 コメント:ダビデはここでサウルから逃げていて、アキシュのところへ行くが、アキ シュの家来たちがこのように言ったので、ダビデは気違いを装って、アキシュのとこ ろから逃げる。 第一サムエル29:5 この男は、みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』といっ て歌っていたダビデではありませんか。」 コメント:ここは前の箇所と同じようにアキシュに対して、ダビデについて首長たち が言っている言葉である。首長たちはイスラエルと戦うときにダビデがいてほしくな いので去ってほしいといったのでダビデは自分の家へ帰っていったという話。 ミカ6:7 主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私 の長子を捧げるべきだろうか。私の魂の罪のために、私に生まれた子を捧げるべきだ ろうか。 コメント:主はあなたに正しさを求め、主とともに歩むことを求めていられる。とい う話の途中がこの箇所である。 以上です。 よろしくお願いします。