Subject:
礼拝の中心は御声を聞くこと
From:
"Miwaza Kanno" <miwazaML@kanno.com>
Date:
2002/07/19 11:12
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。

95篇が礼拝の招きの詩篇であることはすぐわかると思います。実はこの詩篇は記録
によると4世紀ごろから礼拝のしょうしに使われていたようです。私たちもこの詩篇
をしょうしに使っています。

95篇は招きの詩篇なのに、なぜ8-11節に先祖達が御声を聞かなかったという話
が出てくるのか?と思いませんでしたか。それに95篇は先祖達の話で終わっている
のです。

実は8-11節は4-5節と対比しているのです。8-11節は神が天地を創造したと
いうこと。4-5節は天地創造の中心である人間についてです。天地の創造と人間の
創造とは大きく異なります。神さまは人間を特別なものとして創造の6日目に造って
くださり。神の似姿として造ってくださいました。神は天地を創造する時に言葉に
よって創造しましたが、天地は神の言葉がきた時にすぐできました。しかし、人間は
神の御声(ことば)を聞いてできました。

7節の私たちは神の羊であるということと御声を聞くというのもつながっています。
羊達は羊飼いの声を聞き分け、自分の羊飼いの声に聞き従いついていきます。

8-11節に出てくる先祖達は御声を聞きませんでした。なので、神は彼らを安息に
入れないと言っています。神さまは彼らが御声を聞かなかったので私たちに御声を聞
きなさいと言っているのです。神さまは賛美よりも御声に聞き従うことを喜んでいる
のです。それは、アモスの5:21-やホセアの6:6にも出ているとおりです。

95篇が引用されているのはヘブル3:1-4:11です。これほど1つの個所が繰
り返し引用されているのはほかにありません。

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 Miwaza Kanno
  miwaza@kanno.com
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 God bless you!(^^)/~~~
 !かにかに!かにかに!y(^^)y
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