Subject:
詩篇99 「主は聖である」
From:
"近野聡子" <konnosatoko@nifty.com>
Date:
2002/08/27 19:26
To:
"さいわいネット" <saiwainet@egroups.co.jp>

聡子です、「主は聖である」について調べました。

聖(Holy)はへブル語で、”カドシェ”(06918)であり、”カダシュ”(06
942)からの派生語です。

原語の方は英語で”sanctify”と訳され、創世記2章3節に一番初めに出て来ます。

創2:3「神は第7日目を祝福し、この日を聖をされた。」の安息日についての記述
です。

詩篇の中でこの聖(Holy)は、”聖徒”となっていたり、(詩16:3、詩34:
9、詩89:5/7、詩106:16))

”聖なる住まい”(詩46:4)、”聖なる宮”(詩65:4)として使われていま
す。

主ご自身について、”聖”であると言っているのは、99篇を除いて残り5つです。

詩22:3「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておら
れます。」

詩71:22「私もまた、六弦の琴をもって、あなたをほめたたえます。
       わが神よ。あなたの真を。イスラエルの聖なる方よ。」

詩78:41「彼らは繰り返して、神を試み、イスラエルの聖なる方を痛めた。」

詩89:18「私達の盾は主のもの、私達の王は、イスラエルの聖なる方のものだか
らです。」

詩111:9「主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。
       主の御名は聖であり、恐れ多い。」

今挙げた中で、まず目を引くのが詩篇22です。
「わが神、わが神、どうして、私をお見捨てになったのですか。」という言葉で始ま
るこの詩篇は、

マタイ27:46で、イエスさまが十字架上で息を引き取られる前に、引用された詩
篇です。

この詩篇は絶望を表す言葉から始まり、絶望の中でも神に信頼し、最後は賛美で終わ
ります。

詩篇106では、先祖の罪と御名のために彼らを救う神、について歌われています。

詩篇111でも、「主は契約をとこしえに覚え、~御手のわざは真実、公正、
その全ての戒めは確かである」と歌われています。

この詩篇111:9はそのまま、キリストについての預言になっています。

黙示録にも聖なるものについての記述は、”聖なる都”(黙11:2、黙21:
2)、

”聖なる御使い”(黙14:10)などがあります。

そして、”聖なる方”についての記述は、前半に多くあります(黙3:7、黙4:
8、黙6:10)。

黙18:20と黙20:6には”聖徒”についての記述があり、そこでは

「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。
 この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。
 彼らは、神とキリストとの祭司となり、キリストと共に、千年の間王となる。(黙
20:6)」

とあり、聖徒であるクリスチャンの運命について書いてあります。

おわり。