Subject:
詩篇102篇 まとめ
From:
Date:
2002/09/20 11:45
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。

詩篇102篇についてまとめました。

■構造について:

102篇には前半と後半があります。また、それをひとつの話としてみるための中心
もあります。

■青菜の話について:

102篇には詩人が青菜のようになっているという話がありますが、それは大きく分
けて3回102篇の中に出てきます。1つ目は私の日は青菜のようだ、2つ目は私の
日は青菜ようだ、しかし、あなたの年は代々だ、3つ目も私の日は青菜ようだ、しか
し、あなたの年は代々だです。そこで『もし1つ目にも「しかし、あなたの年は代々
だ」があれば、きれいにそろった…』思いますね?実は1つ目にもそれがあるので
す。それは、反対のことで「あなたは代々ではなくなってしまったのか?」です。

■AD70年の話とのつながり:

102篇はAD70年のモチーフです。このAD70年というのは102篇の13節に出
てくる定めの時のことです。この定めの時がくるまで人々は苦しみの時(私の日)を
すごし青菜のようになっていました。ですから、詩人もその苦しみの間を耐え抜いて
代々のいつくしみになりたいので、24節で私の日の半ばに私を取り去らないでくだ
さいといっています。この定めの時というのはさばきの日とも言えます。

■なぜ詩人は青菜のようになったのか?:

詩人はペリカンのようになり飢えていて青菜のようにしおれたといっている。そし
て、灰を食べ、涙を飲んだとも言われていますが、これは、飢えているというのを強
調しているのではなく、詩人は敵にそしられ馬鹿にされているので青菜のようになっ
たことを強調しているのである。

■苦しみへの救いとは?:

この苦しみはAD70年のモチーフだが、この苦しみからの救いとは、その苦しんでい
る者の本物の王が来るということである。それは、救い主メサイアが来るというこ
と、また、キリストが来るということである。

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 Miwaza Kanno
  miwaza@kanno.com
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 God bless you!(^^)/~~~
 !かにかに!かにかに!y(^^)y
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