Subject: 詩篇102篇 金曜日の聖書研究ノート(ケイヤ) |
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Date: 2002/09/20 13:42 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+Keiya Kannoです。 金曜日の聖書研究をまとめました。 今日は、詩篇102篇で悩んでいる、短い日々から代々の日々に変わるという詩篇102篇 のテーマを、今日の通読箇所のマタイ13章のAD70年の預言の箇所を通して見ました。 ●大きく3つに分かれた最初には「短い」と「代々」の2つのテーマがある。 この詩篇の構造は3つに分かれるが、それらの最初には導入のようなものがあって、 そこには代々のテーマと短い、青菜のようにしおれているというテーマがある。 真中の導入は、11節が「青菜のようにしおれている」というテーマで、12節が「神は 代々にいたります」というテーマである。 最後の導入は、23節と24節の最初が「私の日は短い」というテーマで、24節の最後が 「神の年は代々にいたる」というテーマがある。 最初の導入は、3-4が「青菜のようにしおれている」というテーマだが、「代々にい たる」というテーマが無い。よく見ると、2節の「御顔を隠さないでください」が、 「神は代々であるというように見えない」というようにつながっている。 ●102篇とAD70年 この詩篇の詩人は1-10のところで悩んでいる。それは神が詩人に対して怒り、それに よって敵が攻撃してきた。そこで詩人は24節にあるように自分が人生の途中で死んで しまうのではないかと、悩んでいる。そして詩人は13節で「今が定めの時である」と 訴えている。この定めの時とはさばきの時である。そのあとには悩みがすべて解決さ れて、代々に生きるようにされる。 これはAD70年のこととして考えるとよく分かる。イスラエルの民は罪を犯したので、 神に怒られた。それでさばきの前のいろいろな前兆があったが、その時にいろいろな 人が脱落してしましそうになった。そしてさばきの時には本当に神を信じる人と、そ うではない人が分けられ、そのあとに教会の時代が始まった。 神は永遠に神を喜ぶ民を再創造してくださったのである。 -------------------------------- +Keiya@Kanno Family E-mail: keiya@kanno.com May God bless you! --------------------------------