Subject: 詩篇104篇 満ち足りる(信) |
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Date: 2002/10/01 17:33 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
今日は、信です。 Ps.17:14 主は人間を満ち足らせます。それに、神様は食物を創造し、人間はその 神様の創造された食物を食べて人間は満足するのです。だから人間は、 神様が創造をされなかったら、満足というものはなかったと思います。 子供に満たされたというのも、神様がその人に与えなければ、その人は子供 にみたされるはずはありません。 この節に104篇にもとずいている言葉は、神様が全てのものを創造して人々 をみな満ち足らせたことだと思います。 Ps.17:15 人間は神様からもらうもの、見るもの全ては満足してしまう他 にはないはずです。 この節は104篇にもとずいている言葉はないです。 ps.22:26 人間は神様の与えて下さった食物を食べて自分で満足し、神様を忘れてしまう者 はいます。しかし、22篇では、悩む者と書いてあります。キリストのたとえ話 でも、神様を求める者はほとんど、悩む者だと言うように、22:26はそのことを 言っていると思います。 この節に104篇にもとずいている言葉11節のように“野ろばも渇 きをいやします。”というように、渇きをいやすというのは悩んでいる者だと思 います。 Ps.37:19 人間は神様と一緒ならいつでも、満ち足りることはあると思います。 この節も104篇ともとずいているものはありません。 ps.59:15. 神様を信じない者は神様と一緒にいても、満ち足りることはしません。 それはなぜかというと、今までもらっていたものは全て神様からの物だとは信 じていないし、神様が創造主で全てを私たち人間のために創造したことが分 からないからです。 神様を信じる私たちクリスチャンは、食べ物 がなかったってまんぞくはしないといけないと思います。クリスチャンは神様が 創造をしたことだけで、じゅうぶんまんぞくはしないといけないと思います。 この節の中に104篇ともとずいているものは、104篇の中ではこの節で 言っていることと真反対であるのです。104篇では、みんな神様から与 えられているものでもう、まんぞくしているのです。 ps.63:5 ここに書いている人は神様から与えられた物でおお喜びで、大満足 をしているのです。毎日、ある人は毎日食事をしてるのを当然だと 思っているが、毎日、私たちのように、3食も食べているのはすごい恵みを受 けているのです。この人はその大きな恵みを喜んで、感謝しているのです。 そのすごい感謝をここで表しているのです。 この節の中に104篇の15節ともとずいていると思います。15節にはそれほど人間の 満足する物を神様が人間に与えているのです。 ps.65:4 神様に選ばれた者は神様を信じるのでいつも、満ち足りるばかりです。 それなのに、この人は神様の住まい、神様の家に住んでいるのです。それは 大満足でしょう。この人は神殿に住んででいて、神様に守られて、育 てられている羊のようになっているのです。どちかと言うと私たちも神殿の中 に住んでいてこの人のように育てられているのです。 この節の中に104篇の全体的の言い方だとぼくは思います。 ps.78:29 神様は私たちを大いに祝福し、私たちが大満足いじょに祝福して下さります。 しかし、この人は欲望に満ちていて神様から、自分の満足のために神様から食 べ物をほしがろうとしています。しかし、神様は怒るのにおそい御方 だあるので、この人を恵んで下さいまして。しかし、このような人は神様から恵 まれても自分の罪を悔い改めようとはしませんでしょう。神様はこれほど神様 に恵まれたら、ふつうぜったいに感謝しないとおかしいうらいです。もし、神様 が私たちに食べ物をいまのように恵みをもって与えて下さらないのなら、私 たち、いや、人間は今いきていなかったでしょう。 この節の中に104篇ともとずいているところは、だいたい104へんの全体を言っ て、104篇でいっていることと反対のことを言っていると思います。104 へんでは、神様は世界の全ての生き物を満ち足らせています。それで世界 にいる全ての生き物は神様から与えられている物で大満足をしています。 しかし、78:29では神様が与えてあげたのにこの人は満足しないのです。