Subject: 詩篇105篇 分かったところ |
From: "+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com> |
Date: 2002/10/11 11:56 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは。菅野みくにです。 今日の分かったところをまとめました。 詩篇105篇全体はわたしたちに語られている。これは6節を見ると分かる。6節で 「アブラハムのすえよ。ヤコブの子らよ。」と言われている。これはわたしたちのこ とを言っている。 ここで一つの例を使うと審也君に言われていることになる。審也君は契約的にはアブ ラハムの子孫である。肉体的に言うとそうではない。審也君も信仰の先祖たちのよう になっている。穴、奴隷、一人の状態から、何かを通して、穴から連れ出され、自由 になり、多くなり、地が与えられる状態になる。これを国々が見て、主を賛美するよ うになる。これが主の御名である。 ここに、信仰の先祖たちの歴史が書いてあるのは、45節に書いてあるように、わた したちがみおしえを守るためである。御教えの違ういいかたは、おきて、みことば、 契約ともいえる。一番大切なのは契約であるともいえる。 わたしたちが主のみおしえを守りますように、ハレルヤ。 ------------------------------------- +かんのみくに@カンノファミリー mailto:mikuni@kanno.com お手紙好きのくーちゃん メールチェックは一日中 -------------------------------------