Subject: 詩篇106篇 Israel's Sins in the Desert |
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Date: 2002/10/18 12:43 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+Kanno Keiyaです。 Israel's Sins in the Desertの続きを訳しました。 2)ねたみの罪 (16-18) この詩篇の次の節は民数記16章に記録されているようにコラと250人の共犯者がねた みのためにモーセとアロンに逆らったことを描いている。彼らは「あなたがたは分を 越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、な ぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか?」と言った(3節)。 神は彼らを地が開いて彼らの家族を飲み込み、火が幕屋から出てきて250人を燃え尽 くした。それどこから民までもが逆らった。それで神は疫病を送り、それはアロンが 彼らの罪を贖うために仲裁するまでに14000人を殺した。 3)偶像礼拝の罪 (19-23) 次の事件は金の子牛の偶像を造った罪としてよく知られている。これは出エジプト記 32章で言われている。モーセはシナイ山で神の律法を受け取っていた。しかし、彼が 山の上にいる間、民はいらいらして、落ち着かなくなり、アロンに荒野から良い地に 導いてくれる「神」を求めた。アロンはそれに対して抵抗しなければならなかったの に、他のリーダーたちと同じように彼は弱かった。彼は金の耳輪と他の宝石を求め て、それを溶かして、子牛を造ったので、彼らは礼拝した。それはエジプトの雄牛の 神、アピスを思い出させ、その礼拝の仕方は飲み騒ぎ、最終的には姦淫を犯し、狂っ たように走り回った(出エジプト記32:25を見よ)。 その時神はモーセに民を滅ぼし、モーセから新しい民を始めるということを言われ た。しかしモーセは彼らのためにとりなし、自分を彼らところで捧げたので、神は彼 らを惜しまれた。 パウロが20節の前半を彼のローマ人への手紙の人の競争について訴える時に引用する ことは興味深い。詩篇には、 こうして彼らは 彼らの栄光を、草を食らう雄牛の像に取り替えた。 ここはイスラエルのシナイでの罪を指している。しかし、ローマ人への手紙でパウロ は人が抱えている一般的な罪であると言って、こう書いている「彼らは、自分では知 者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、 鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました」(ローマ人への手紙 1:22-23)。違う言葉で言えば、イスラエルだけが偶像礼拝をして、有罪になったの ではない。これは人間の一般的な罪である。本物の神以外のものを神の場所に置くな ら、私たちも同じように偶像礼拝者である。 まだ途中です。 -------------------------------- +Keiya@Kanno Family E-mail: keiya@kanno.com --------------------------------