Subject:
詩篇108篇 57篇と60篇の構造(ケイヤ)
From:
Date:
2002/10/29 14:41
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+Kanno Keiyaです。

この詩篇の1-5は57:7-11で、6-13は60:5-12であることは分かったが、学ぶ時に最大の難関はこの2つがどのようにつながっているのかということである。興味深いこと
は引用している箇所が両方とも後半だということである。それはこの2つの詩篇の解
決が同じことに向かっているということを表している。それで57篇と60篇の構造を見
ました。

57篇

●構造

1-5 救われる前の祈り

    X 救い

        6-11 救われたあとの感謝

●構造の説明

この詩篇は2つの理由によって明らかに前半と後半に分かれる。

1つは5節と11節が同じ言い方であることである。
もう1つは1節の最初の2行と7節の最初の2行が同じ文型になっているということである。ヘブル語の直訳を見ると分かるように簡単なキアスマスになっている。

A 「憐れみ給え」、「揺るがない 私の心は」
    B 神よ
A 「憐れみ給え」、「揺るがない 私の心は」

しかし、同時に難しい所も2つある。

1つはセラが3節の2行目と3行目の間と6節と7節の間にあるということである。
もう1つは6節が5節と7節の間にあるということであって、それをどちらにつけるかが
難しい。

1-5は救われる前の状態である。詩人は自分で神の陰に身を避けたり(1節)、神が恵みとまことによって天から救ってくださることも確信しているが(3節)、今の状態
はまだ獅子の穴の中にいるのである(4節)。

6節で詩人は何もしていなく、敵が穴を掘ったが自分でその中に落ちてしまったとい
う敵へのさばきが書いてある。

7-11は最初と同じ文型で始まり、同じ言い方で終わるが、最初とは明らかに違う。最初は敵が穴を掘っていつ落ちるかという状態であったが、ここでは私は揺るがない状態になっている。そして国々にも賛美するように言う。このように賛美しているの
は、神が恵みとまことを送ってくださったからである。つまり神は3節で詩人が確信
していたことを成してくださったのである。
まだ途中です。

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