こんにちは。菅野みくにです。
今日の聖書研究のまとめをしました。
108篇には二つの詩篇が入っています。それは、57篇と60篇です。108篇の1~5節が、57篇の7~11節。108篇の6~13節が、60篇の5~12節です。この二つの詩篇の後半が入っている事が分かります。それで、57篇と60篇の前半がどのような話かを見なければなりません。まずは色塗り、構造、問い、100文字文などを書いてみましょう。
両方の詩篇には、はっきりとした敵がいます。57篇には敵がいないように見えますが、それは、国名や地名が書いてないからです。
また両方の詩篇が、どのような詩篇かを探るには、題を見れば分かります。詩篇57篇の題は、【指揮者のために。「滅ぼすな。」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに】です。詩篇60篇の題は、【指揮者のために。「さとしは、ゆりの花。」の調べに合わせて。教えのためのダビデのミクタム。ダビデがアラム・ナハライムやアラム・ツォバと戦っていたとき、ヨアブが帰ってきて、塩の谷でエドムを一万二千人打ち殺したときに】です。この両方の詩篇を見ると、57篇は戦いの最中で、穴の中にいる状態の時に歌った詩篇。60篇は戦いに勝利した状態の時に歌った詩篇である事が分かります。
穴の中に入っているのは神に拒まれている状態である。57篇は穴にいる状態で歌っている。60篇は勝っている状態で歌っている。
57篇では、穴の中から助け出されてから、神の栄光があらわされている事を確信して歌っている。ゆるがない←→拒まれた これは反対の意味である。
本物の王様は戦う前には、57篇のような歌を歌う。しかし、勝利すると60篇のようなへりくだった歌を歌う。「私たちの力ではない。神様の力だ(Non no bis domine)」と。これはヘンリー五世の映画からも分かる。戦う前には力強い宣言をして、戦った後には、「わたしたちにではなく、主よ、わたしたちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。(Non no bis domine)」と歌う。
なので、この詩篇の順番は間違っていない。わたしたちであったら、60篇の後半を先にするかもれないが、神様はちゃんと分かっている。
恵みを捨てる拒まれた これは反対の事である。
最終的に詩篇57篇、60篇、108篇は、
詩篇57篇:復讐を求める祈り
詩篇60篇:あわれみの神
詩篇108篇:あわれみの勝利
です。
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