Subject: 「黙る」について続(謙人) |
From: "Kento Aoki" <kento@mikunikensetsu.com> |
Date: 2002/11/13 18:16 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、謙人です。 「黙る」について続けてみました。 イザヤ書64章12節 この箇所で、罪を犯している私たちの咎によって主は怒られ、黙っておられる。9節 で私たち罪を犯しているものの罪を忘れてくださいとある。これは109篇の悪者に 対しての裁きを願うところで出てくる。前半の方にあるように神と私たちの差は無限 であって、主は私たちの陶器師だと言っている。 エレミヤ4章19節 ここは神がイスラエルに対して、裁きを宣言されるところである。主に帰るものは救 われるが、そむくものは滅ぼされる。109編では黙っていないで下さいとあるが、 ここで神はもう黙っていれないといわれる。しかし、それはイスラエルを救う為に黙 るのをやめられるのではなく、彼らの罪の報いとして裁くためである。 黙るについて ・このように見てわかったのは黙るということについて詩篇の中から出てきている箇 所のほとんどの題は賛歌というようになっていることだった。 そのことから、私たちは詩人のように口を持って、悪者のように攻撃、そしりなどの ことをするのではなく、神の栄光を現すような賛美などをしなければならないという ことがわかる。 ・イザヤ62章には主に救われた者たちは黙っていてはならないとある。それは神を 賛美することである。 ・神は罪を犯したものには黙っておられ、神に立ち返るようにされるがそれでも従わ ないものに神は裁きをもって答えられる。神が黙っておられるというのは裁きの状態 であるが、同時に悔い改める時を与えられたと考えるべきである。しかし、それでも 悔い改めないものに神は裁きをされる。 ・109篇で神は詩人の罪のために黙っておられ、なじるものどもは詩人の罪をな じっていると思う。 ・剣のような武器である言葉をもって悪者、サタンは攻撃する。しかし、神が答えら れることによって詩人に対してのそしりはなくなると109篇ではある。 以上です。