Subject: 詩篇109篇 木曜日の聖書研究ノート(ケイヤ) |
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Date: 2002/11/14 12:46 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+Kanno Keiyaです。 ●さばきの詩篇 この詩篇のテーマはさばきである。下記の箇所はさばきのテーマがある箇所である。 1節で神が黙っているのはさばきの宣告をしていないということである。 6節でサタンが悪者の右に立つということがあるが、これは裁判の時のことで、悪者 の弁護士、また告発者である。そして7節では裁判の時に悪者の願いが、聞き届けら れないで、有罪と宣告されるようにと願っている。 8-19には報い、刑がある。それは6,7節にあったさばきで有罪とされたあとの判決の 結果である。それで20節ではこのことを主がなしてくださるようにと願っている。 31節には主が貧しい者の右に立つということがあって、それは6節の反対である。 また義しいさばきについて聖書の中で見るとそこには悩む者、貧しい者たちを助ける ということが書いてある。それは具体的にみなしご、やもめなどである。 それで私たちがこの詩篇を見る時にさばきと関係なく考えてしまうと意味が間違って しまう。それはのろいについても同じである。 のろいを考える時にさばきと別に考えるので意味が変わってしまうのである。 ●サタンについて 言葉探しをするにもさばきと関係づけて考えなければならない。そうするとこの詩篇 で大切なのはサタン、右に立つ、のろいなどである。 サタンはよくさばきの時に来る。ヨブ記の最初でもこのように来る。サタンはいつも 神の民を訴えようとしている。キリストの時もそうだった。まむしのすえであるパリ サイ人たちはずっと訴えようとしていたが、キリストは一度も訴えられるようなこと はしなかった。黙示録12:10でサタンは「兄弟たちの告発者」と呼ばれているほどで ある。 サタンが右に立つということは聖書に2箇所ある。1つはこの詩篇で、もう1つはゼカ リヤ書3:1である。 主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその 右手に立っているサタンとを見せられた。(ゼカリヤ書3:1) ここでサタンは大祭司ヨシュアの右に立って彼を訴えようとしている。しかし、神は ヨシュアのよごれた罪の服を脱がせ、新しい清い服を着させてくださった。 このようにサタンは私たちをいつも訴えようとしている。 またサタンは私たちを神から離そうとしている。この詩篇で詩人は貧しく、悩んでい るが、この時に気を付けるべきことは神が私たちから離れていると考えてしまうこと である。サタンはこのような時に攻撃してきて、神は離れてしまったと言って、偽り で攻撃してくる。 例えば、創世記3章でエバに神はいじわるだと言って、善と悪の知識の木の実を取る ようにと誘惑して、その時はサタンが勝った。 またマタイによる福音書4章で荒野に行かれた時、空腹になったらサタンが来る。そ してその空腹を自分で解決するように言う。この時はキリストが勝った。 反対に祝福された時には自分でこのようになったと考えて、私たちが神から離れてし まうのである。 例えば、ダビデは平安になって、安定した時に罪を犯した。 私たちは祝福されているので、離れないようにしなければならない。 -------------------------------- +Keiya@Kanno Family E-mail: keiya@kanno.com May God Bless you!! --------------------------------