Subject:
詩篇111,112篇と黙示録15:3,4(ケイヤ)
From:
Date:
2002/12/06 13:12
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+Kanno Keiyaです。

今日の聖書研究で、2週間分のまとめをしましたが、その中でみわざとはさばきのこ
とで、詩篇を書いた時には「みわざ」と言えば、出エジプトを思い出した。

また主は聖なる方であるということを知る時に大切な箇所は黙示録であることも教え
られた。この箇所もまたみわざで、神が古い民をさばかいている。そしてさばかれた
ことを喜んだ新しい民である教会は15章で出エジプトのことを思い出しながら、賛美
したので「モーセの歌と小羊の歌」を歌った。

それで「モーセの歌と小羊の歌」を分析して、111,112篇と対比してみました。

 あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神
よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
 主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあ
なただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏しま
す。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。(黙示録15:3,4)

この箇所には詩篇にでてきたキーワードがたくさんでてくる。

まず最初に「みわざは偉大である」と言う。それは111:2aと全く同じ言い方である。

「神は正しく、真実である」という言い方は111:7a,8bにある。

「主を恐れる」ということは111篇の中心テーマであって、それは
111:5,9b,10a,112:1bにある。

「神は聖である」ということは今回の詩篇の学びの中でも大切であり、111:9にあ
る。

「神の所に人々が来る」ということは111:2bにある。

この箇所と比べると、詩篇111,112篇について興味深いことが分かる。このように神
のみわざは偉大であるなどと言っているのに、神は支配者、王であるなどの言い方が
直接ないということである。

質問: バビロンから連れ出されたあとの人々はもうエジプトから連れ出した神だと言
わないとエレミヤ書23:7,8にあるが、黙示録では出エジプトを思い出して、モーセの
歌を歌っているのはなぜか?

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