Subject:
詩篇114篇 1-2、7-8のつながり
From:
"近野聡子" <konnosatoko@nifty.com>
Date:
2002/12/17 20:13
To:
"さいわいネット" <saiwainet@egroups.co.jp>

聡子です、114篇の1節、2節と7節8節の、それぞれのつながりについてまとめました。
 
114篇は、1-2節、7-8節が主文で、3-6節は、その補足のような印象を受けます。
 
そして、5節に、この詩篇の中心概念である、「何故か(主はどのようなお方か)」があり、
 
そこから、逆に1-2節、7-8節が、家を支える柱のように、中心概念を支える、骨組みになっていることが分かります。
 
3,4,5,6節が明らかに、語句の上で対比、並列していることから、それを包む1-2節、7-8節も
対比されていることが分かります。
 
その対比には、次の二つの可能性が考えられます。
 
1節-出エジプト~      A      A
2節-聖所となる         B       B
 
7節-地は御前でおののく  A        B
8節-岩が水に変えられる   B     A
 
①〈ABAB説〉
 
1節と7節が並立している、と考えると、1節で「エジプトから出てきた」イスラエルが、
7節では「ヤコブの神の御前」でおののきくことになり、
 
エジプトの奴隷→主の奴隷へと変化したことになります。
 
そして、2節と7節が並立していると考えると、2節はユダとイスラエルについて書かれているので、
8節の「岩」はユダを、「堅い石」はイスラエルを指していることになり、
 
つまり、神は、岩(ユダ)を水のある沢に、堅い石(イスラエル)を水の出る泉に変えられた、という意味になります。
 
②〈ABBA説〉
 
1節と8節が並立していると考えると、1節の出エジプトの出来事は、岩が沢に変えられるような、
神の御わざ以外には有り得ない、奇跡である、という意味になります。
 
堅い石=エジプト、とも言えます。
 
そして、2節と7節が並立していると考えると、ユダとイスラエルは神の聖所となった後、神の御前で正しくおののいている、
という意味になります。
 
ー以上です、よろしくお願いします。ー