Subject:
詩篇115篇 木曜日の菅野家家庭礼拝のまとめ
From:
"近野聡子" <konnosatoko@nifty.com>
Date:
2002/12/27 11:11
To:
"さいわいネット" <saiwainet@egroups.co.jp>

聡子です。
とりあえず、自分が分かる所だけ、まとめて送ります。

詩篇115~118篇は、出エジプトの、神のみわざを賛美する、”ハレルヤ詩篇”
です。

115篇、116篇は特に、「主の御名を賛美する」とはどういうことか、を私達に
教えています。

115篇で最も大切なのは、一節にある、
「私達にではなく、主よ、あなたの恵みとまことのために、
栄光を、唯あなたの御名にのみ帰して下さい。-non no bis Domine-」の部分です。

「主に栄光を帰す」とはどういうことか、その答えは、116篇に明確に書かれてい
ます。

116篇1節「私は主を愛する」ということが、その答えです。

そして、主を愛することの具体的内容は、116篇9節、13節、17節にある
「主の御前を歩き進む」
「救いの杯を掲げ/感謝のいけにえを捧げ、主の御名を呼び求める」ということで
す。

116篇5節にある「主は情け深く、正しい(その恵みはとこしえまで)」というの
は、主の御名そのものであり、
115篇12~15節にある、「主の祝福」とは、主が、その御名の約束通りに、実
行して下さるということです。

115篇4~8節に、国々の偶像について書かれていますが、これは「人(アダム)
のわざ」であり、
神様の「御手のわざ」とは、真逆であることが示されています。

「御手のわざ」は、何も造り出さない偶像たちとは反対に、死から生を、ちりから人
間を造り出されます。

115篇17節に、「死人は主を褒め称えることがない」とありますが、
116篇では、罪の中で死んでいる状態だった者が、救われ命を得、主を賛美してい
ます。

つまり、主にたましいを救われた私達は、115篇の結論である18節にあるよう
に、
「今よりとこしえまで、主をほめたたえよう(主を愛そう)。ハレルヤ。」という義
務があるのです。

-以上です。よろしくお願いします。-