Subject: 詩篇118篇 御名によって(ケイヤ) |
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Date: 2003/01/16 19:40 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+Kanno Keiyaです。 「御名によって」という言い方を続けて探しました。 第1列王記18章は神の預言者エリヤとバアルの預言者の戦いである。バアルの預言者 たちはバアルを呼ぶが、何も起こらずに終わってしまう。それに対してエリヤは1人 神の預言者としてたち、32節で主の名によって祭壇を築き、主を呼ぶと火が降ってき て濡れていた薪をも燃やしてしまう。 第1列王記22章でイスラエルとユダはともにアラムと戦おうとする。その時に戦うべ きかを預言者たちに聞くと、みな「戦いに行って勝利を収めよ」と言う。それでミカ ヤという預言者にも聞くと彼も同じように言う。それで16節で王は怒って「いつに なったら主の名によって語るのか」と言う。 次はエリヤからエリシャに継承する時のストーリーである。第2列王記2章でエリヤが 火の戦車に乗って天に昇ったあとエリシャはエリコに戻って死や、流産を癒したりし た。そのあとベテルに行くと子供たちがエリシャをばかにしたので24節で主の名に よってのろうと獅子が来て彼らを裂いた。 次の箇所は第1歴代誌21:19である。ここでダビデは罪を犯し、人口調査をしてしま う。そうすると神はさばきを下される。そして神はガドを通して御名によってダビデ に語り、それに従って、彼はオルナンの打ち場に行く。 詩篇の中でこの言い方は118篇の他に2箇所しかない。そして両方とも都上りの詩篇で ある。 118篇の次の箇所は詩篇124:8である。その詩篇の最初の2節はとても興味深い。「主 が私たちの味方でなかったら」という言い方が2回繰り返されている。それは118:6,7 に似ている。もしも主がいなかったら押し倒されていたという言い方は118:13と同じ である。それで最後に助けられるのは主の御名によると確信して終わる。 次は129:8だが、興味深いことに始まり方が同じ言い方である。ここで詩人は主に よって敵に勝つ。「憎む者」は枯れてしまい、誰も彼らを主の御名によって祝福しな い。 -------------------------------- +Keiya@Kanno Family E-mail: keiya@kanno.com May God Bless You! --------------------------------