Subject: マタイによる福音書5:3-12と23:13-36の対比(ケイヤ) |
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Date: 2003/01/23 14:08 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+Kanno Keiyaです。 この詩篇を読むといつもは書かれているのにでていないテーマがある。その中でも大 切なのは御言葉、仰せ、戒め、みおしえなどの言葉はたくさんあるが、それがどのよ うな内容なのかが実際に書いていない。 それについて知るためにはモーセ5書を知らなければならない。それの新しい適用を 山上の説教という形で主イエス・キリストは言わた。その最初を見ると119篇の1段落 分と同じ8回「幸いなことよ」という言い方が繰り返されている。それは同じマタイ による福音書の23:13-36で「忌まわしい者だ」という形でパリサイ人たちに言われて いる。それでこの2箇所を対比してみました。 ●神の国 最初のテーマは神の御国である。貧しい者には天の御国が与えられているが、パリサ イ人たちは御国に入れなくて、他の人も入れないようにしている。 ●福祉 悲しむ者は慰められると書いてあるが、23章のほうを見ると日本語の「かわいそう」 というような印象ではないことが分かる。ここではみなしご、やもめなどの話をして いる。本当は助けを必要としている人々をパリサイ人たちは食い物にしている。 ●? 3つ目の箇所の柔和な者とそこら中を歩き回ってゲヘナの子にするということのつな がりが分かりません。 ●義 義に飢え渇いていると満ち足りる。パリサイ人は義しいさばきを求めず、誓っている 物についての考え方がまちがっていると考えましたが、どのようなどのようにつな がっているのかがよく分かりません。 ●あわれみ あわれみを与える者はあわれみを受けるが、パリサイ人たちはとても小さいものの10 分の1を捧げるのに、根本的なあわれみを忘れている。 ●心の中 パリサイ人は自分の外側を聖くして、行いだけをするが、本当の心はじゃりでいっぱ い。それに対して心が聖い者は神を見ることができる。 ●? 次の箇所は前の箇所とほとんど同じテーマの違う言い方にしか見えず、平和な神の子 とのつながりがよく分かりません。 ●迫害 昔の預言者たちのように迫害を受ける者は天で報いを受ける。それなのにパリサイ人 は預言者たちを殺した者たちの子孫である。 -------------------------------- +Keiya@Kanno Family E-mail: keiya@kanno.com May God Bless You! --------------------------------