Subject:
詩篇122篇 主の家
From:
"Miwaza Kanno" <miwaza@kanno.com>
Date:
2003/02/14 12:10
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。

主の家をヘブル語で探して研究しました。

■詩篇23:6

23篇で主は羊飼いだといわれている。この羊飼いという意味は詩篇122篇のさば
きの座におられる主なのです。また、6節のいつくしみという言葉は「良い」です。
というのは、羊飼いである王なる神さまは良い方であるということです。詩人はこの
ような神様のもとで主に家に住まうのです。

■詩篇26:8

ここで詩人は主の住まうところを愛するといっています。また、122篇で詩人はこ
の愛するところに、愛する友人、また、兄弟達ともに行くのです。5節で詩人は反対
に悪の集まりを憎むといっています。一方122篇では主の家に主の部族達と集まる
ことを喜んでいます。主の家に集まって何をするのかというと、主の御名に感謝する
のです。なぜなら、主の御名によって主の家の門のうちに入れられたからです。12
節では122篇の2節同じ表現がつかわれ、主の家にいることが表されています。

■詩篇27:4

ここで詩人は一番欲しいもの(1つのこと)として、主の家に住むことを求めていま
す。主の家に住むことによって5-6節に書いてあるように、平和になることを望ん
でいるのです。平和ではないという状態は、神が御顔を隠し、見捨て、見放したとき
です。また、詩人は13節で生ける者の地で主のいつくしみが見たいといっていま
す。このいつくしみという言葉は良い(トブ)です。

■詩篇92:13

ここで正しい者は主の家に植えられた者といわれています。しかし、正しくない者は
11節にあるように、正しく神によって、さばかれるのです。主のさばきには不正が
ないということが、15節からもわかります。主の大庭に植えられたものは平安にな
るのです。主は正しいお方なので、正しい者を祝福してくださるのです。具体的には
10節に出ているように、主は油を注いでくださり、角を高く上げ、王としてくださ
るのです。

■詩篇93:5

ここでまた、主は王であるということが言われています。また、93篇全体を見ると
主の支配のもとはとても平和であることがわかります。なぜなら、正しいさばきがさ
ばきの座において行われているからです。5節の聖なるという言葉は、良い(トブ)
という言葉と、まったく離せない言葉なのです。主の御座はとこしえまで!

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