こんにちは、塩光献です。
種を蒔いて刈り取る者についてちょっと研究しました。
一番最初に種の話が出てくるのは創世記1:11です。そこで主植物を創造した時にその植物が種を持っていて、人間の苦しい労働によらなくても実を結ぶ物として創造したのです(創世記1:29)。しかし、アダムの罪の為、人間は汗と涙を流して、つまり、苦しい労働をして種を蒔いて刈り取らなければ、食べて行けないことになったのです(創世記3:17ー19)。
種を蒔くということと実を結ぶことは、子を産む、ということにもなります。実際、ヘブル語でも「種」という言葉は「子孫」という意味をも持つのです。この種を蒔くのも苦しいんですが、主の命令に従って、苦しみに耐えながら種を蒔くとその苦しみは祝福され、実は結ばれます(創世記13:15-16)(創世記17:7-19)(創世記22:17-18)。こうして神は呪いを祝福に変える道を与えてくださっています。
詩篇126篇の種まきの話も、呪いだったはずの事から、祝福が生み出されているのです。
以上です。