Subject:
詩篇126篇 捕らわれから帰される(ケイヤ)
From:
Date:
2003/03/14 11:21
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+KannoKeiyaです。

ビデオを取ったのですが、調子が悪く、壊れてしまったので、まとめました。

この詩篇の構造は過去と現在になっていると考える人もいるが、この詩篇が特別なわ
けではない。普通の私たちの祈りでも神が昔なさってくださったくださったことを思
い出し、今の状態について訴えるのである。

126篇を絵にしてみると、分かるようにバビロンに捕らえられた時に、シオンにあっ
た神殿は滅び、神はいなくなり、民はバビロンに連れて行かれた。これは神と民の関
係がだめになっているということである。民は神の命令を守らず、偶像礼拝をしたの
で、汚れてしまった。それで聖い神と関係を持つことはできない。このような状態の
時に民は苦しむ。

それに対して戻って来る時にシオンに神殿は再建され、神はそこに戻って来て、民も
そこに戻って来る。これは神と民の関係がもとの愛の関係、父と子、そして新約時代
になると夫と妻の関係になることである。民が命令を守るなら、関係を持つことがで
きる。そして町の中に入って喜ぶことができる。

このように捕らわれた状態から帰されるということが大いなることであり、救いであ
る。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God Bless You!
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