Subject:
詩篇129篇 良い王のパターン
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2003/04/01 12:13
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

良い王のパターンを説明します。

今週の詩篇は結構難しく、問いがたくさん出ましたね(詩篇129篇「問い」のホワ
イトボードを参照)。その中に、なぜ民は苦しめられているのか?民を苦しめること
と、シオンを憎むというつながりは何なのか?屋根の上の草とは?悪者の綱?という
問いが出ました。屋根の上の草のクロスリファレンスを見ると、第二列王記19:2
6、イザヤ37:27などが出ています。この箇所はすごく大切です。

第二列王記19:26でなぜこのことが言われているのかといって、前後関係を見る
と、これは、アッシリヤの王セナケリブが都に向かって、ばかにし、恥を見させてい
る。そのことについて神様が答えてくださっているということが分かります。この時
代はヒゼキヤの時代ですね。彼はまあまあ良い王様でした。

良い王様のパターンというものがあります。良い王様がいてそこに悪者が恥を見させ
ようとし、あざけりとさげすみで攻撃しています。恥が来るのは王が何かをしたから
です。これが、良い王様のパターンというものです。そのパターンで今日の通読箇所
のヨシヤ、ヒゼキヤのところを見てみましょう。

第二列王記19章で、ヒゼキヤが礼拝改革をしたあとに、セナケリブが攻撃してきま
した。同じように第二歴代誌35章を見ると、ヨシヤが礼拝改革をした後に、パロネ
コが攻撃してきました。なぜ、礼拝改革をしたあとに敵が恥を見させようとやってく
るのでしょうか。その答えは第二歴代誌32章31節に出ています。ここで言ってい
るように、神様は、彼ら(良い王様たち)を試しておられるのです。

今日のゲスト、桑野ゆかりさんのご主人と比べてみましょう。彼も、良い王たちのよ
うに恥を見せられたり、あざけられたりしています。それは、会社の同僚たちや研究
員たちにです。彼にも何かが起こったので、良い王たちのようにあざけられていま
す。それは、桑野さんはキリスト者だからです。神は彼をも試しておられます。桑野
さんが苦しめられているのは、教会が苦しめられていると考えなければなりません。
祈るときにも、自分の苦しみを取り除いてもらうのではなく、教会の苦しみが取り除
かれるように祈らなければなりません。もし、私たちが神様に信頼して祈るなら、そ
の恥は栄光、また、誉れに変えられるのです。

さっきいった問いの中に、民を苦しめることと、シオンを憎むと言うことのつながり
は何かというのがありました。民を苦しめている、また、シオンを憎むことのつなが
りは、両方とも神様がバカにされていると言うことになります。4節にある、悪者の
綱とは何かというのも、問いの中にありました。それは、詩篇2篇を思い出さなけれ
ばなりません。2篇でもわかるように、その綱とは私たちを神様の関係のことなので
す。神と民の関係がこわされると言うことなのです。

いつもの問いですけれども、なぜ都上りなのかということは、5節でわかります。5
節のシオンを憎むと言うことがなければ、この詩篇が都上りの詩篇であることがわか
りませんね。セナケリブがヒゼキヤを攻撃したところも、都に向かってあざけってい
るのです。ということで、歴史的背景になる箇所は、第二列王記19章ということに
なります。

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