こんにちは、+KannoKeiyaです。
福音書にこのテーマは何度も出てくる。パリサイ人たちは偽善者で、自分たちを高く見せようとしたりする。また弟子たちも何度も誰が偉いのかなどの言い争いをした。
マタイによる福音書18章で弟子たちは誰が御国で一番偉いのかと聞く。そうするとキリストは子供を連れてきて、自分を低くする者が一番偉いと言われる。あとでキリストはご自分で弟子たちの足を洗われる。
キリストはマタイによる福音書23章でパリサイ人に対して「忌わしいものだ」と言われる。その前にパリサイ人はどのような者なのかを説明するが、そこで彼らは他の人に見てもらうことが好きであると言って、その中に自分を高くするものは低くされ、自分を低くする者は高くされるという言い方がある。
今日の聖書研究で見た新約聖書の手紙で大切だった所はヤコブの手紙4:6と第1ペテロの手紙5:5ー7である。
ヤコブはこのように神が高い者を低く、低い者を高くしてくださるのは恵みであると言う。そのためにどのようなことをするのかを列挙するが、そこでへりくだるということがある。そして13節からのところには131篇と似ているテーマがある。それは「明日このようにしようという」ことである。それは131篇では2節にある「及びもつかない大きなことに深入りしない」ということである。私たちにとって神のみこころは及びもつかないものなので、15節のような言い方をしなければならない。反対に及びもつかないことに深入りすることは16節にあるようにむなしい高ぶりである。
ペテロは長老たちに勧めたあと若い者たちに話す。そこでへりくだり、謙遜になるように命じる。そしてヤコブと同じように悪魔に対する戦いをに打ち勝つようにはげます。これは本当に謙遜なのを試すためである。