いのちのことば社 新聖書講解シリーズ 詩篇38篇 富井悠夫著
参考とした文献:
いのちのことば社 新聖書講解シリーズ 詩篇38篇 富井悠夫著
題:
真の悔い改め
概説:
この詩篇は悔い改めの詩篇の一つになっている。
真の悔い改めは自分に対して絶望するが、神に対しては絶望しない。
なお神に向かって恵みを求める。
「記念のため」という表題についてのカルヴァンの解釈:
ダビデは彼がこうむった罰を、あまりにもすぐに忘れ果ててしまうことを恐れて、彼自身のためにも、他の人々のためにも、この詩篇をいわば記念として執筆した。(『詩篇2』[旧約聖書注解]新教出版社)
悔い改めの詩篇:
詩篇 6篇
32篇
38篇
51篇
102篇
130篇
143篇
構造:
1-8 罪による苦痛の告白
9-14 人の助けのむなしさ
15-22 絶望の中の希望
大切なこと:
最初にダビデは、この苦しみの原因は自分の罪にあるといっている。
この詩篇の「健全」、「完全」とは「平和」(シャローム)のことである。
5節の「傷は、悪臭を放ち、ただれました」自分の苦しみが長期間のものであることこのままではもっと悪い状態になることを訴えている。
しかし、「私の愚かしさのためでした」という理由を加えることによって自分の責任を明らかにしている。
6節は神の裁きで有罪といわれた罪人として、うなでれている。
9節の「私の願いはすべて」という言い方のによって、自分の罪を認めたものが、ずっと助けを求める理由を言っている。
「目の光が無くなる」とは、力が完全になくなるという意味である。
「えやみ」とは「らい病」を表すことばとして用いられている。
13.14節で「口を開かない」人のように自分は行うという。その意味は神にすべてをゆだねるという意味である。
15節には「主」(ヤハウェ)「わが神」(エローハーイ)、「主」(アドーナーイ)という神の3つのいい方が出てくる。
21.22節でダビデは、15節と同様に3つのいい方で主を呼び、「私を見捨てないで」「私から遠く離れないで」「急いで私を助けて」と祈っている。
「主はいつくしみ深い。主を待ち望むもの、主を求める魂に」(哀歌3:25以下)
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