Subject: 詩篇39篇の問い(じゅんママ) |
From: "Junko Sano" <junkosano@jcom.home.ne.jp> |
Date: 2001/06/11 19:34 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
- エドトンはだれなのか(1節) ⇒ダビデの宮廷の音楽指揮者の一人。エドトン詩篇は39、62、77篇。
- よいことにさえ黙っているのは、正しいことなのか(2節)。ミルトスの注には‘善い事も言わずに沈黙した’の意」とあるが。
- 主が目をそらすと、人は明るくなるのか(13節)
- すべての 人は まっすぐに立っている、とは(5節)
- 影の中に 歩き回る、とは(6節)
- 私のすべてのそむきの罪、とは(8節)
- (5、11節)の人は「アダム」、詩篇39篇で「息」が頻出なのは、人が神の息で造られたからか
- (5、6節)「人」「彼ら」「彼」と単数だったり複数だったりするが、どれもみな「人一般」を指すのか
----- Original Message -----送信者 : keiya@kanno.com宛先 : EGP saiwai.net送信日時 : Monday, June 11, 2001 12:14件名 : [saiwainet] 詩篇39篇の問(契也)こんにちは、+カンノケイヤです。詩篇39篇の問を書きました。
- 自分の道とはどのような道なのか?(1節)
- なぜ、黙っていると痛くなったり、熱くなったりするのか?(2、3節)
- 敵に対して黙っているというのと、自分の齢の話はどのように関係しているのか?
- 彼らとは誰を指しているのか?(6節)
- 人が歩き回る話と、むなしく騒ぐのはどのように関係しているのか?(6節)
- なぜ、自分が旅人であるということが祈りを聞いてもらえる理由になるのか?(12節)
- なぜ、神に見つめないでと祈るのか?(13節)