Subject:
詩篇138篇 恵みとまこと(ケイヤ)
From:
Date:
2003/06/05 14:58
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+KannoKeiyaです。

恵みとまことについての説明文を書き直しました。


詩篇を学ぶ時に恵みとまことは避けて通ることのできないテーマである。

1) 恵みとまことの意味

現代、一般的にこの言葉を聞くと「愛」と同じように弱々しくて、柔らかい、感情的
な雰囲気を受けてしまうが、この言葉はそのような感情の問題ではなく、契約的な関
係を表す言い方である。

これらの言葉は神が必ず契約を守ってくださり、言ったことを必ず行ってくださると
いう意味である。
聖書の中での恵みとまことの定義は、「恵み」が契約の通りに行ってくださるという
ことで、まことがその契約は真実であり、必ず果たされるということである。またこ
れらは「とこしえ」である。神がアブラハムに契約を与えたあと400年以上経ってか
ら彼の子孫であるイスラエルの民はエジプトから出て、自分たちの相続地を得る。そ
れよりもすごいのは神がアダムとエバに救い主が与えられるという契約を与えてから
4000年も待ってから主イエス・キリストは与えられた。

2) 138篇の中心テーマとしての恵みとまこと

このテーマを中心に138篇を考えることができる。1-2a(キーの前)までは神の恵み
とまことに感謝している。2bではその恵みとまことは何かが説明されていて、それは
みことばを高く上げるということである。そして3節で呼んだ日に神は答えて助けて
くださったとあるが、これこそ恵みなのである。

4節からまた「主よ」という言い方で後半が始まる。4-5ですべての王たちは栄光とみ
ことばを愛している。そのみことばとは高い所から低い者を愛してくださるというこ
とであり、そのことによって神は栄光を表してくださる。7節と8節は対比されてい
て、どのような苦しみの中にあっても神は救い、助けてくださるということが言われ
ている。これこそ恵みとまことである。

大きく見ると1-3は全体的な恵みについて説明されている。それは3節にはどのような
時に呼んだかは書かれていない。敵から攻撃された時であるかもしれないし、飢饉か
もしれないし、病気の時かもしれない。

4-8は特に戦い、敵からの救いの時の恵みについて説明されている。そのような状態
を見て周りの王たちは賛美するのである。

3) 具体的なストーリーの中での恵みとまこと

この2つの言葉は創世記24:27で最初に一緒に使われた。ここでアブラハムのしもべの
中で最も偉いしもべはリベカをイサクの妻として見つける。彼はリベカを見つけた時
に喜んで、主を賛美し「主はアブラハムに対する私の恵みとまことを覚えてくださっ
た」と賛美し、礼拝する。この「恵みとまこと」はすなわち「契約に忠実である」と
いうことである。ここで大切なのは「覚える」という言葉にも「契約」というテーマ
が関連しているということである。

ノアの洪水のストーリーも同じように契約のストーリーである。その中心は「覚え
る」というテーマであった(創世記8:1)。神はノアに対する契約に忠実にしてくだ
さり、覚えてくださった。その後、水が地から無くなった時に神はアダムと同じ契約
を与え、しるしとして虹を与えてくださった。

4) 詩篇の中での恵みとまこと

詩篇の中でこの言い方が最初に使われるのは25篇で、その詩篇には138篇に似ている
テーマがある。詩人は神に道を知らせてくださいと願っている。その道とはみことば
のことで、そして主にあわれみと恵みを覚えてくださいと願い、反対に罪を覚えない
でくださいと願う。それは御名のためである。主は主を恐れる者を愛してくださると
言った時に「契約を与えてくださった」。それを守ってくださるということは恵みと
まことである。

また1つの詩篇の中で最もこの言い方がでてくる詩篇は89篇であって、第2サムエル記
7章に書いてあるダビデの契約に基づいている。詩人はまず主の恵みとまことを賛美
する。そしてそれらを人々に告げ知らせている。3-4にはダビデへの契約と誓いの言
葉が書かれている。そして詩人はまた主の真実を持って行われた奇しいわざ、すなわ
ち言われた通りに行われた御手のわざと、主の御名、そして王の王なる主を賛美し、
礼拝する。そのような御方はダビデを高くし、子孫を王座に着かせるという契約を
守ってくださる。

それなのに38節からの箇所でそれが忘れられているかのような状態になっていると訴
えている。それで契約は偽り、真実ではないかのようになり、敵の右の手が上がって
しまっている。それはその契約を信じていた者にとっては恥のようである。しかし、
詩人は主がとこしえであると信じて、その恵みとまことに訴える。

5) 新約の中での恵みとまこと

新約に入ると神は創世記で与えられた契約である「救い主を与える」という言葉を果
たしてくださり、主イエス・キリストを与えてくださる。神は契約に忠実に主イエス
・キリストを与えたので、キリストは御父に忠実である。それは愛の関係である。

大切なのは主イエス・キリストご自身は恵みであって、恵みの受肉した形である。ヨ
ハネによる福音書1章にもあったようにキリストはみことばそのものである。

それでパウロや他の使徒たちが手紙を書く時の最初と最後の挨拶には「主イエス・キ
リストの恵みがともにあるように」と言うし、聖書の最後、ヨハネの黙示録の結論で
も同じ挨拶をする。これはとこしえのものである。

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。(ヨハネの黙示録
22:21)

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God Bless You!
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