Subject: 詩篇139篇とヨブ記の対比(ケイヤ) |
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Date: 2003/06/12 14:19 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+KannoKeiyaです。 ヨブ記との対比を続けてやりました。 シュアハ人ビルダデは他の友と同じように罪を犯していなければ、このようなさばき はなく、潔白な人は祝福されると言う。 ヨブはそれを認めることはするが、すべてを知っている神に自分の正しさを語って も、すべてを行う御方である。その奇しいわざは測り知れない。そのような神の行い を変えることはできなく、祈ることしかできない。潔白であったとしても神は罪の無 い者だとは認めない。それをヨブは知っている。そしてヨブはなぜ、神が怒っている のかを問い、知らせてくださいと願う。また御手のわざをさげすまないでくださいと も言う。それでも神はこのことを心に隠しているということをヨブは知っている。 ナアマ人ツォファルも自分の罪を認めるなら神は助けてくださるということを助言す る。 それに対してヨブは私は人間の知恵は無意味であるということを知っていると反論す る。また神が御手によってすべてを行ってくださっているということは獣でさえも 知っている。神はすべてを御手の中に持っておられる。またヨブは神に祈り、2つの ことをしないでくださいと願っている。そのうちの一つは自分の上にあるさばきの御 手を取り除くということである。 まだ途中です。 -------------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com http://saiwai.net/keiya/ May God Bless You! --------------------------------