+松田@カンノ・カンパニーです。
本日家庭礼拝で細かく見せていただいたことと少し関係するのですが、
ここでは松田の思いつきを、メモとしてお送りしておきます。
ポイントは、まだ特定できません。連想だけが存在しています。
また、塾長のように新約の世界までは到達しておりません。
■39-90
詩篇39篇は、詩篇90篇にも似ています。
詩篇90篇は、
私たちの不義への激しい御怒り(v8,9)、
私たちも飛び去る(v10)
のようなテーマを持ちます(まだ詳しく見てませんが)。
■90-89
詩篇89篇の主は、詩篇90篇のように、
激しく怒って(v38)、彼の若い日を短くし(v45)ておられます。
■90、89-32、33、34
詩篇89篇は、
幸いなことよ(エシェル/アシェル)、喜びの叫びを知る民は(v15)
によって、詩篇32-34の幸い詩篇シリーズを連想させます。
※ただし、今回は結論に飛びつこうとは思いませんけど。
少し賢くなりました。
■32-39
詩篇32篇は、
黙っていたときには、一日じゅう、うめいて(v3)いるので
詩篇39篇にくり返される沈黙と痛みを連想させます。
また詩篇39篇に戻ってきてしまいました。
次は、おまけです。
■32-103(主の善の説明)
詩篇32篇が告げるそむきの罪の許し(v1)は、
詩篇103篇の主の良くしてくださったこと(v2)という意味
であることが教えられます。
このように断片的な思いつきや連想だけによる関連づけは、論として
成り立ちにくいので、今はこれで保留にしておきます。
いつかパズルの一片として思い出すために書いておこうと思います。