Subject:
詩篇142篇 私の分の土地(ケイヤ)
From:
Date:
2003/07/01 13:36
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+KannoKeiyaです。

「私の分の土地」ということについてまとめました。

5節の「私の分の土地」という言い方は興味深く、目立つ。この言い方は詩篇の中で
この他に2箇所ある。

最初は16:5である。詩人は神に祈り、自分は「身を避ける」ので守ってくださいと願
い、主こそ神であると確信している。そして5節で主は自分の受ける分、譲りの地所
であると告白する。そして6節から神はいつも教えてくださったと言っていて、その
ような助言者を詩人は自分の「右」に置いている。神は「たましい」を「穴」から引
き上げ、「道」を「知らせてくださった」ので、詩人はゆるがなく、「たましい」は
喜び、「御前」には嘆きではなく、喜びがある。

73:26も興味深い。この詩篇は第3巻の最初で、アサフの詩篇である。
アサフは悪者が栄えるのを見て、つまづき、穴に落ちそうになってしまう。しかし、
彼らの祝福は一時的なもので、必ず最終的には滅ぼされるということを知る。また神
は右の手を捕まえてくださったので、すべることなく、主を自分の分の地とし、避け
所として告白する。

神が相続地であるということの有名なストーリーはレビ族についての話である。イス
ラエルの部族が相続地を分けられた時にレビ族は相続地は与えられず、町だけが与え
られた。それはイスラエルの人々が罪を犯した時にレビ族だけが立ち上がって主のた
めに戦ったので、主がレビ族をご自分のために仕える者とし、レビ族は主を自分たち
の相続地としたのである。それで主に捧げられた物はレビ族だけが食べたり、使った
りすることができたのである。

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+KeiyaKanno
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