Subject: Re: [saiwainet] 詩篇145篇 +カンノパパの構造 |
From: Kuwano |
Date: 2003/07/23 22:32 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
on 03.7.23 11:46 AM, +mikuni@kanno.com at mikuniML@kanno.com wrote:
Bの3-7節と17-20節は、同じである。両方とも「みわざ」について話してい る。最初のみわざは、「超越」で、最後のみわざは「内在」である。3-7節で、み わざは大いなるもので、力があり、栄光に輝いていて、恐ろしいということをはなし ている。17-20節では、みわざとは具体的に、呼ぶと答える、叫びを聞いてさば きを行うと言うことであると言っている。主が近くにいて下さるとは、「インマヌエ ル」である(イザヤ7:14,8:8,マタイ1:23)。
上の点、気がつきませんでした。確かにそうです。 菅野パパ、ありがとうございます。 以下の点について質問。これを主の御名とする根拠を教えてください。 主の御名は「ともにいる」=インマヌエルなのではないのですか?。
主は、情け深く、あわれみ深く、 怒るのにおそく、めぐみに富んでおられ、いつくしみ深くあられると言うことは、主 の御名である。主の御名によって宣言された一番最初の箇所は出エジプト記34:6 節である。
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