Subject:
イザヤ38章 大切なこと
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2003/07/29 12:55
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

イザヤ38章で大切なこと、気がついたこと、質問を書き出してみました。

・10節の生涯の半ばというのと、20節の生きている日々の間というのは並行して
いる。

・12-13節のあなたは昼も夜も私を全く捨てておられますというのと、17節の
あなたは私のすべての罪を後ろに投げやられたと言うことが、罪を捨てたと言うこと
で同じ。

・10節の私はよみの門と言うことと、20節の主の宮は対比されている。特によく
分かるところは22節で、主の宮に上ると行っているからである。10節ではよみの
門に下ると言っている。

・語る、言うと言うことがヒゼキヤのストーリーの中で強調されているが、38章の
19節では父が子らに知らせると言うことにおいて出てくる。

・イザヤに書かれている(イザヤ36-39章)ヒゼキヤのストーリーの歴史的な順
番はめちゃくちゃである。たとえば、しるしを7-8節で与えられているのに、21
節で、主の宮に上れるしるしは何ですかと言っている。

・15節は構造の中心だとも考えられる。

・38章の16節にある「これらによって」の「これら」とは何のことか?何のこと
を言っているのかよく分からない。苦しみのことを言っているのか。

・38章13節の私は朝まで叫びましたと言うところに印が付いていて、クロスリ
ファレンスを見ると、静めたと書いてある。

・12節のいのちを機織りのように巻いたとはどのような意味があるのか?なぜ神様
はそれを断ち切られたのか?

・同じ12節の、私の住みかは牧者の天幕のように引き抜かれと言っているが、どの
ように引き抜かれたのか?また、牧者の天幕はなぜ引き抜かれるのか(牧者の天幕の
ようにと書いてある)?

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