Subject: 詩篇148篇 カルヴァンの詩篇説教集(ケイヤ) |
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Date: 2003/08/26 14:18 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+KannoKeiyaです。 カルヴァンの詩篇説教集(手島欣二郎訳 聖恵授産所出版部)の148篇の部分を読ん で、気が付いたことを書きました ●要約 主はこのような汚れている私たちに御使いと共に賛美するという大変大きな名誉を与 えてくださった。 ここで興味深いのは汚れた私たちがいつも賛美して主に忠実に仕えている御使いたち に「主をほめたたえよ」と命令していることである。これは私たちの訓練のためであ り、いつも私たちが賛美するためなのである。 無感覚で、私たちの理解できるような言葉や、声によって賛美することのできない被 造物である動物などに賛美するようにと言っているのは私たちのためである。私たち は被造物を見る時にそれらを通して主を賛美するのである。そうすると最終的な目的 は私たち人間が主を心から賛美するということである。 イザヤ書6:5にあるように私たちは汚れた者ではあるが、主は御使いと一緒に賛美す る特権を与えてくださった。私たちがこの特権を喜ばず、主を賛美することを嫌い、 他の人が賛美することを妨げるなら、悪魔に仕えていることになる。 主はすべての被造物によってご自分の栄光を表そうとされているのに、主の最高傑作 である人間が主を賛美しないなら、創造された意味が無くなる。 私たちは神を賛美するものとして作られたが、無関心である被造物はそうではない。 私たちにとって被造物は賛美集であり、私たちはそれを見て御名を賛美する。賛美集 自体からは賛美の声はでてこないが、これは賛美のための道具である。 人間が神を賛美せずに生活しているなら、罪を犯している。また私たちが他の人の賛 美を妨げるなら二重の罪になり、神の秩序を守っていないのである。それはイザヤ書 1:3に書いてある通りであり、人間は賛美できない動物よりも悪いということにな る。 また重要なことは人間が口だけで賛美するのではなく、体全体を使って賛美し、賛美 が生活と密着し、いつも賛美するということが大切である。 ●気が付いたこと ・6節の2行目の解釈 カルヴァンの訳したものの6節の後半を読むと新改訳と解釈が少し違う。 新改訳では主の定め、おきて、律法は堅く立ち、揺るがず、なくならないという意味 になるが、カルヴァンは「踏みこえてはならない律法を与えられた」と訳している。 これは絶対に破っては成らない律法を制定されたという意味になる。 ・対比の部分 新改訳とヘブル語の直訳ではっきりと対比されている1節の2行目と7節の1行目、5節 の1行目と13節の1行目はカルヴァンの訳では対比されていることがあまりはっきりし ていない。 まだ途中です。 -------------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com http://saiwai.net/keiya/ May God Bless You! --------------------------------