Subject:
カルバンの説教
From:
伊藤 由美 <yumimama@bmmn.bias.ne.jp>
Date:
2003/08/26 23:58
To:
saiwainet@egroups.co.jp

伊藤由美です。
カルバンの説教を読んで気づかされたことを送ります。

148篇をとても難しく感じたのは、詩編研究に慣れていないためかと思ったが、
あながちそれだけでないことが、カルバンの説教の冒頭の14節の訳を読んでわかった。

カルバン訳によると、14節は
「そして主は、柔和な者、みそばにいるその子イスラエルを賛美に導くため、
この民の角を持ち上げられた。永遠者をほめよ。」
となっている。
「神が、その民を高く引き上げられたので、
彼に対する賛美は、みそば近くにいる、イスラエルの子のうちで、なされるべきである。」
というのである。

これこそが、人間が造られ、贖われた目的である。
私は、自分がいかに創造主を賛美することの意味を理解していないか、
また賛美することから、どれほどかけ離れているかを知らされた。

私たちは、神が私たちをこの世に置かれた理由を学ばねばならない。

2節の天使について:
天使は主の御名をほめる訓練をたゆみなくしており、
その模範によって、人間が神をほめたたえるよう、促している。
神が天使の賛美を促すことをのぞまれる、ということは、
人間を天使と同等に扱い、彼らのうちに組み入れ、恵みと栄光を表わして下さることを示す。

私たちの主イエス・キリストは、天使の主であり、また私たちの主であり、
賛美のコーラスリーダーである。
キリストは、神の恵みの成就であるという根拠を与えるだけでなく、
兄弟との交わり[教会]において、神の御名を宣べ伝える。(ヘブル2:12)
キリストが道を示される、ということを知って、
私たちはなおさら、神を賛美する意欲と熱意を持つようになるのである。

この詩篇で被造物のリストが挙げられているが、それは、
自然の秩序を観察して創造主を知り、彼に帰すべき賛美をささげるよう、
賛美の理由と機会を見出すためである。

神は、天における被造物に不変の秩序を与えられたが、それは人間の益と必要のための
きめ細かい配慮であり、賛美の理由となる。
さらに、このような過ぎゆくこの世においても不変性があるならば、
神の永遠の御国の不変性はいかばかりであろうか、
そのことに思いを馳せるべきである。

地上の被造物もまた、神の意思を実現するものである。
被造物自体はみずから声を発することはないが、
私たちが賛美をするときに役に立つものである。
ちょうど、賛美歌集のことばと音符のようなものである。
また、新改訳では「みことばを行なうあらし」という表現にみられるように、
悪天候は、鈍く、神のみもとにゆこうとしない人間をめざめさせ、
神を畏れさせるために、神が送られるものである。
つまり、無感覚な被造物ですら、神の努めを果たしているのである。

天と地のすべてのものは、ただ人間だけのために設計されたということを知るなら
地上に置かれた最も高貴な被造物である人間は、なおさら神の意思を実現しなければならない。

与えられた被造物を自分の都合のために、神に感謝もせずに貪ってはならない。
人間の捧げる賛美は、取るに足りないものであっても、
神はあらゆる賜物を示して下さったあと、いかなる報酬も要求されず、
人間がただ、「神から与えられていると告白する」ことで、満足されるのである。
しかし、これをしないことが、いかに邪悪であることか。

神は、人間に善悪の判断力と、識別力、その上律法を与えて下さったのであるから、
私たちは、神のみこころを果たすよう自分を励まさなければならないのである。
この点において怠慢であれば、天と地の被造物が証人となって私たちを責め立てるであろう。

さらに、神が恵みによって人間に言語を与えて下さったのは、神がすべてのものによって
賛美されるためであり、これが人間の努めなのである。
神の御名を賛美しない人間に弁解の余地はない。
賛美をしないものは、神がご自身に感謝する者らに指定された恵みを盗みとる泥棒であると
いうこともできる。同時に、隣人の賛美を妨げることも赦されない。
また、神への賛美は、ただ口の言葉によってだけでなく
心と、行ないと、生活全体において一貫したものでなければならない。

罪によって汚れていた私たちをきよめて下さった神は、
私たちをみもとに引き寄せて下さる。
人は神のみ力の証人となるよう、神が恵みを表わして下さっているのである。
いつくしみ深い神のみ姿にふれた人々は、永遠の御国に入るまで、
自分と隣人を励まして神をほめたたえ、日毎に進歩しなければならないのである。

6節の「踏みこえてはならない律法」という訳からは、契約の祝福と呪いを連想する。
神は私たちに枠を与え、それを遵守する者に祝福を約束しておられる、という、
神の契約の真実を思い起こす。(個人的感想)

私たちは、自分が何者であるかを深く知って、造られた目的に相応しいものでありますように。