Subject:
詩篇1篇 幸い研究
From:
"Miwaza Kanno" <miwaza@kanno.com>
Date:
2003/09/16 12:47
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。

3節の関連個所を探して、幸いな者について研究しました。

幸いなことよというキーセンテンスは、詩篇の中で何回も繰り返されている、有名な
ことばです。1篇で言われている幸いとは、悪者から離れ、正しい者達とともに集ま
り、主の教えをともに喜ぶことです。また、1篇では具体的に、幸いということが植
物にたとえられています、幸いなものは、水路のそばに植わった木のようだといわれ
ています。

このように正しい者は、エデンの園の木のように茂るのですが、悪者は偶像を立てる
ときに、よく、高い丘の木の茂ったところにたてます。それは、エレミヤの17章の
2節を見るとわかります。「彼らの子たちまで、その祭壇や、高い丘の茂った木のほ
とりにあるアシェラ像を覚えているほどだ。」。

福音書の中で思い出す木の話は。マタイの21章19節です。ここで、キリストはか
れていて、葉しかないイチジクの木を呪いました。「道ばたにいちじくの木が見えた
ので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスは
その木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。する
と、たちまちいちじくの木は枯れた。」。もうひとつは、マルコの4章3-20節で
す。「また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞い
て受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。ここで、キリストは信仰
を木にたとえているのです。

このように、クリスチャンが信仰によって、三十倍、六十倍、百倍に祝福されると言
う、実際の話は、創世記26章のイサクの人生の話の中にでてきます。12節で、イ
サクは異国の地でも、信仰によって、神様が共にいてくださり、祝福されて、実際に
彼の種は百倍の収穫となったのです。「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の
収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。」。

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