Subject: Re: [saiwainet] Re: 桑野パパ/ 詩篇150篇 |
From: 桑野 <hoofvet@da2.so-net.ne.jp> |
Date: 2003/09/16 22:59 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
遅ればせながら。 テーマ;全て栄光のうちにある主なるキリスト以外、永遠に栄える者はなし。 構造; A(+) 1-3 正しい者 (主イエスと、主と契約を結ぶ者) A(-) 4-6 正しくない者 (サタンと、これと契約を結ぶ者) 1編のはじめの言葉がこのさいわいネットの命名理由だったかな・・・。 いつもながら、なぜこの詩編が1番目なのかと考えさせられる。他にも良い詩編はいっ ぱいあるのに、どうして、“さいわいな者”の説明から始まるのか?。とくに、「そ の人は何をしても栄える」という真ん中の不思議な言葉は、いったいだれの言葉なの であろう。 わたし達は罪人であり、何をしても栄える人は実在しないのに・・・。 また、この詩編はだれが書いたのだろう・・・。ダビデ?作者不明?それとも、編纂 者自身? 編纂者はどうしてこの詩編を冒頭にもってきたのだろう。もちろん?纂そのものが 御霊の働きによるので、疑問は「なぜ、神はこの詩編を冒頭にもってきたのか。その 意図するところは?」とすべきであるが・・・。 ・・・結局、主イエスのことを表していると判断せざるを得ない。 人間的にはみじめな死さえも神の栄光とした主イエスは、まことに「何をしても栄え た」唯一の人間だから。 ならば、主イエスに正しく従う民は、まことに何をしても栄える民になるはず。 何をしても・・・? “何”とは主イエスにしたがって正しく行う全ての事を指しているのは明らか。 「それ以外の何をしても栄えませんよ、いやそれどころか永遠の滅びが待っています」 という警告と受け止められる。 この“警告”から詩編が始まるのだと思って、これから読み始めてみることにしよう・ ・・、と私は考えています。