Subject: 詩篇4篇 私たちの誇りと悪者の誇り(ケイヤ) |
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Date: 2003/10/15 16:52 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+KannoKeiyaです。 5節と11節に「誇り」という言葉がでてきて、5節は悪者の誇り、11節は主に身を避け る者の誇りということであったので、聖書の中でこの言葉を見て、何を誇るのか、彼 らの誇りの違いなどをまとめました。 ●士師記16:24 ここは最初に悪者が誇っている箇所である。 ナジル人のサムソンは何年間もペリシテ人を苦しめたが、ペリシテ人の妻デリラに よってその力を奪われる。それでペリシテ人はサムソンを捕らえることができたの で、自分たちの神々を誇った。 ●第2サムエル記22:4 ここは最初に主を恐れる者がはっきりと誇った箇所である。 ダビデはいろいろな苦しみの中にあっても祈っていた。その中で彼は主を誇り、主を 賛美している。それで主は彼を助けてくださり、悪者に対して恐ろしいさばきを下さ れるのである。 ●詩篇10:3 悪者は自分の心の欲望を誇っている。彼らは主が身を隠し、遠く離れていると思って いるので、神はいないと高慢になる。そして彼らの攻撃は口によるものであり、義人 を待ち伏せている。しかし、主は見ておられるので、悪を滅ぼされ、王として国々を さばかれる。 ●詩篇22:22 いつも詩人は祈ったが、主は答えてくださらないので、先祖たちを救ってくださり、 自分も胎児の時から見ておられるということを告白する。敵はまた口で攻撃している が 主は答えてくださるという確信があるので、主の御名を賛美し、子孫にも賛美させ る。 これらの箇所を見る時に一番の誇りは神であることが分かる。悪者は自分たちの偶 像、神々の力を誇るが、私たちは主を誇り、賛美するのである。なぜなら、神はさば きを行われるからである。さばきが行われた時にそれをなしてくださったと信じてい る神を誇るのである。詩篇5篇で悪者は誇り高ぶる時には自分たちを誇り、高くして いる。彼らはイスラエルを攻撃した国々のようにヤハウェと信じる人々を支配できる と考えている。それで自分たちを神とし、自分たちがさばくことができると考えるの である。しかし、彼らは誇り高ぶっていても、最終的には主の目の前、さばきを行わ れる場所に立つことはできなくなるのである。 -------------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com http://saiwai.net/keiya/ May God Bless You! --------------------------------