Subject:
詩篇5篇 よく分かったこと
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2003/10/17 12:11
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

詩篇5篇についてよく分かったことをまとめました。

今週の詩篇に似ている箇所は、今日の通読箇所であるルカによる福音書6章です。6
章は、「平地の説教」(山上の説教の平らなところで説教をしているバージョン)で
す。

最初で、「幸いなことよ。このような人は。」と言っています。22節からで、人々
が憎むとき、はずかしめるとき、あざけるときは幸いで、その時に喜びなさいと言っ
ています。

憎む、はずかしめる、あざけると言うことは、全部言葉の攻撃です。「偽り」を言っ
て、攻撃してくるのです。その時に「喜べ」と言っています。

なぜ喜ぶかの理由が23節に二つ出てきます。1つは天での報いは大きいから。もう
一つは、預言者たちも同じようであったからと言うことです。

ここで、急に預言者が出てくる。口の攻撃をしている者たちは、預言者たちを迫害し
ている。預言者は神の言葉を宣言する者で、この言葉は、真理の言葉です。

しかし、悪者は「偽り」の言葉で攻撃してきます。正しい者が、「真理」の言葉を言
うからこそ、「偽り」を言ってくるのです。

悪者は、正しい者と神様の愛の関係をこわそうとして、偽りを言ってくるのです。神
様を愛している正しい者は、47節からの所を見れば分かるように、聞いてそれを行
う人です。聞いても行わない悪者は、実行しないような者です。

悪者も、聞くことはできる。耳がある。しかし、それは曲がった耳である。正しい者
の耳は、曲がっていない耳である。

このように憎み、はずかしめ、あざける悪者は、「サタンの子」、「まむしのすえ」
と呼ばれます。マタイ23章を見れば分かるように、「幸いなことよ」の反対で、
「忌まわしい者だ」と書かれています。彼らは、「偽善の律法学者」とも呼ばれてい
ます。

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